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至誠感天 家和万事成 17
苦痛を受けてこられた神様

 今日も「一日の出発のみ言」をお届けします
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※本文中、各文章の末尾にある( )内の数字は、原典『文鮮明先生み言選集』の巻数とそのページ、または、み言を語られた日付を示しています。

(光言社・刊『至誠感天・家和万事成』より)

第一章 至誠感天

第二節 神様の精誠

(二)復帰の精誠③

 神様は永存される方です。神様が涙を流されるのは、死の道を一掃するためであり、苦痛の道を一掃するためであり、悲しみの道を一掃するためです。神様が悲しみと苦痛と死の道を一掃するために先に涙を流し、血と汗を流してこられたことを知って、今日の私たちは、代わりにみ旨を成し遂げなければなりません。神様が死の場に出ていってはいけないのです。

 今まで神様は、最後の死の場、最後の涙を流す場、最後の血と汗を流す場に私たちの先祖を立てたのです。このようにしたのは、神様に愛がないからではありません。そのような場を解消するために、神様もそれ以上の痛みを感じなければなりませんでした。

 愛する子女が死ぬその瞬間、父母の心はどれほど苦痛であり、愛する子女が苦痛を受けるのを見つめる父母の心情はどれほど痛むでしょうか。自分が死ぬより、もっと心を痛めるというのです。このような痛む心情をもって、人類の歴史が始まって以来、苦痛を受けてこられた神様なのです。

 私たちは、一代を中心として一度苦痛を受けて倒れれば、私たちの責任はすべて終えることができますが、今まで神様は、大勢の先祖たちが死の道を行くたびに、涙の道を行くたびに、血と汗を流す道を行くたびに、悲しみと苦痛の道を行くたびに、激しい苦痛を受けてこられたのです。(14-244、1965.1.1)

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 明日は、「原理を実践するための受難」をお届けします。