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内村鑑三と咸錫憲 10
「韓国併合は失敗であった」

魚谷 俊輔

 韓民族選民大叙事詩修練会において、内村鑑三が近代日本の偉大なキリスト教福音主義者として紹介され、その思想が弟子である咸錫憲(ハム・ソクホン)に引き継がれていったと説明された。
 咸錫憲は文鮮明(ムン・ソンミョン)総裁が若き日に通われた五山学校で教師を務めた人物だ。そこで内村鑑三から咸錫憲に至る思想の流れを追いながらシリーズで解説したい。

 19174月、内村鑑三は箱根堂ヵ島で開かれた朝鮮基督教青年会修養会へ招かれて講演をしているが、その印象と感想を、友人ベルへ書き送っている。
 そこで彼ははっきりと韓国併合は失敗であったと述べている。

 「本月の初め、箱根山でまる一日を朝鮮の青年達と過ごし、信仰その他についてたくさん話してやりました。かわいそうな朝鮮人たちは、彼らの国を失いました。何ものも彼らのこの損失を慰めることはできません。私は日本が朝鮮を併合したことは、とりも直さず、一ポーランド国を合併したことであり、結局このたべ物を完全に消化することは望みがないのではないか、と案じます。彼らの中には立派なクリスチャンがおり、精神的には、原則通り、日本のクリスチャンよりはるかにすぐれています。彼らの間には、私の善い友人が数人います。われわれは互いに心から愛し合い、われわれの間には『人種問題』なぞは介在しません」(1917年419日付、アメリカの友人D.C. Bell宛ての書簡より)

 内村は優れた朝鮮のクリスチャンに接し、彼らの信仰と独立希求の情熱に触れて、併合の不成功を改めて痛感したのである。

 内村は在日東京朝鮮キリスト教青年会総務として1906年に来日した金貞植(キム・ジョンシク)とは、特に親交を結び、朝鮮に対する認識を深めた。
 その仲は内村をして「余は日本人であり、金君は朝鮮人であるが、われらはキリストに在りて真の兄弟である」(『内村鑑三全集』34巻、109ページ)と言わしめたほどであった。

 また内村の聖書研究会に出席する朝鮮人留学生も少なくなかった。
 東京高等師範学校に学んでいた金教臣(キム・キョシン)や咸錫憲たちである。

 彼らとの触れ合いや、内村聖書研究会から朝鮮へ派遣した伝道団の報告を通して、内村が常に痛切に感じたことは、朝鮮青年の燃えるがごとき愛国心、その熱心な信仰と伝道上の独立心、そしてそのあつき礼儀である。

 内村の日記のあちこちには、自分の教えを最もよく理解しているのは朝鮮人学生であること、日本人は朝鮮人に学ぶことが多くあることなどが書き留められている。

 内村のもとで9年間学び、感謝して帰国する朝鮮人学生を見送った時、彼は感激を込めてこう記している。

 「信仰のことについては、朝鮮人は全体に日本人以上であるように見える。たぶんわが信仰が朝鮮人の中に根ざして、しかる後に日本に伝わるのであろう。小数の朝鮮人学生を教えるためだけに聖書研究会を起こす価値があった」(『内村鑑三日記書簡全集』第4巻、289ページ)