2025.02.05 22:00
内村鑑三と咸錫憲 9
「キリストにおいてこそ日本人も朝鮮人も一つとなる」
魚谷 俊輔
韓民族選民大叙事詩修練会において、内村鑑三が近代日本の偉大なキリスト教福音主義者として紹介され、その思想が弟子である咸錫憲(ハム・ソクホン)に引き継がれていったと説明された。
咸錫憲は文鮮明(ムン・ソンミョン)総裁が若き日に通われた五山学校で教師を務めた人物だ。そこで内村鑑三から咸錫憲に至る思想の流れを追いながらシリーズで解説したい。
内村鑑三は1915年5月30日、東京朝鮮基督教青年会から招かれて、講演を行っている。
「教会と聖書」と題するこの講演で、内村は日韓の併合は外面のみであって、心中では分離しており、日韓の真の合同融和を遂げ得るのは、キリストのみであることを力説している。
当時もそれ以前も、在京の朝鮮基督教青年会館と寄宿舎は、愛国留学生600人の集まる唯一の場所であり、そこでは独立運動の企画が行われていた。
後には上海にできた独立政府とも連絡を保ち、1919年の三一独立運動のきっかけとなった同年2月8日の朝鮮独立大会も、この青年会館で行われた。
朝鮮人留学生は内村の聖書研究会にも何人かおり、「聖書之研究」の郵送先を見ると、朝鮮は64人で、長野、北海道、大阪、神奈川についで東京以外では第5位であることから見ても、朝鮮人の読者がかなりの数に上ったことが分かる。
朝鮮の青年たちは内村のかねてからの朝鮮民衆に対する同情と、その精神運動への評価に勇気づけられて、講演を頼んだのであろう。内村はその後も何回かこの会のために講演をしている。
1917年4月、内村は箱根堂ヶ島で開かれた朝鮮基督教青年会修養会へ招かれ、「相互の了解」と題する講演をした。
内村は日本人として最も話しにくい問題を、正面から取り上げた。
人が人を解することは最も難しいことであると認めながらも、キリストにおいてこそ日本人も朝鮮人も一つとなり、相互の完全な了解が得られる、と彼は説いた。
「四海みな兄弟であるというに、人は今なお人の敵である。同人種にして同宗教なる英国人とドイツ人とは、今や不倶戴天の讐敵である。日人は鮮人を解せず、鮮人また日人を知らず、誤解に加うるにうらみ、憎悪に加うるに復讐、そして、いかにしてこれを除かんかとは、政治家、外交家を悩ます大問題である。そしてその完全なる解決はただ一つあるのである。人々をしてイエス・キリストを知らしむるにある。…人はキリストにありて相和らぐまでは、兄弟なお仇敵である。いわんや異邦人をや。いわんや異人種をや」(『内村鑑三信仰著作全集』第19巻、260ページ)