2025.01.29 22:00
内村鑑三と咸錫憲 8
日本の救いは朝鮮から
魚谷 俊輔
韓民族選民大叙事詩修練会において、内村鑑三が近代日本の偉大なキリスト教福音主義者として紹介され、その思想が弟子である咸錫憲(ハム・ソクホン)に引き継がれていったと説明された。
咸錫憲は文鮮明(ムン・ソンミョン)総裁が若き日に通われた五山学校で教師を務めた人物だ。そこで内村鑑三から咸錫憲に至る思想の流れを追いながらシリーズで解説したい。
1910年の日韓併合を機に、内村はそれまで日本が担うと信じていた東洋啓蒙の霊的先駆者としての使命が、朝鮮に移ったと感じ始める。
国を取って喜ぶ日本国民一般とは反対に、内村は国を失って悲しむ民に思いを寄せ、日本が領土を増大して霊魂を失ったことを嘆いている。
日本はキリスト教を入れて50年になるが、その結果ははなはだ微弱であるのに対し、朝鮮が宣教師によって開教されると、福音は非常な勢いで広まっていった。
日本の教師は知識の点において勝っていても、信仰の点でははるかに及ばない。
内村の聖書研究会に来て2~3カ月の朝鮮人は、日本人教友より深い質問を出す。東洋第一の会堂は平壌にあり、2~3千人の信者がある。主な会堂は皆独立し維持されていることを見ても、信仰がいかに深く入っているかが分かる。
内村は朝鮮国がこの信仰を通して神の恩恵を受けるようにと、切に祈らざるを得ないと言っている。
内村は言う。
「日本には教えは早く来たが、ただちに受けない。しかるに朝鮮はただちに受け入れたのである。ゆえに日本の救いはまず朝鮮に始まっているといえましょう。早くより伝えられてしかも不振なる日本は、十年二十年の後にキリスト教がいかに朝鮮人を感化しつつあるかを見た時に初めて目をさまし、おごることをやめて福音を受けざるを得ないようになるのであります」(『内村鑑三聖書注解全集』第11巻、290ページ)
先なる者は後になり、後なる者が先になる。日本はせっかく伝えられた教えを退け、偶像崇拝を離れず、道徳の堕落、社会の崩壊はその極にある。
それに比して朝鮮の民は教えを受け、この世の国を奪われたとしても、天国に思いをはせ、キリストによって霊の豊かな恵みを受けている。日本はこれに見習わねばならぬ。
これは内村の朝鮮キリスト教徒への敬意と期待を十分に表しているとともに、朝鮮民衆をこのように迫害している日本人の霊の貧困を叱る言葉であった。
さてここまでは、内村鑑三が当時の日本人としては卓抜した朝鮮および朝鮮人観を持っていたことを紹介してきたが、次回からは、内村がいかに身近に接した朝鮮人を深く尊敬し、彼らと深く親交を結んでいたかということについて紹介する。
実は朝鮮人留学生は内村の聖書研究会にも何人か参加しており、『聖書之研究』は朝鮮でも読まれていたのである。