2025.01.22 22:00
内村鑑三と咸錫憲 7
「幸福なる朝鮮国」
魚谷 俊輔
韓民族選民大叙事詩修練会において、内村鑑三が近代日本の偉大なキリスト教福音主義者として紹介され、その思想が弟子である咸錫憲(ハム・ソクホン)に引き継がれていったと説明された。
咸錫憲は文鮮明(ムン・ソンミョン)総裁が若き日に通われた五山学校で教師を務めた人物だ。そこで内村鑑三から咸錫憲に至る思想の流れを追いながらシリーズで解説したい。
1907(明治40)年7月、李太王(李氏朝鮮第26代王、高宗/在位1863〜1907)が、当時ハーグで行われていた国際平和会議に3人の密使を送り、日本の侵略と韓国の自由独立を訴えさせようとした、いわゆるハーグ密使事件が起こった。
しかしその努力も空しく、李太王は伊藤博文統監によって退位を強制され、第3次日韓条約によって韓国は外交・内政ともに日本の統治下に置かれることとなった。
その年、韓国キリスト教界では大リバイバルが起こり、福音は燎原の火のごとく全土に伝わり、政治的には挫折したかに見えた民族独立の運動は、キリスト教信仰に深化されて民衆に浸透しつつあった。
その年の10月、内村はこれを踏まえて、短文「幸福なる朝鮮国」を書いた。
「聞く、朝鮮国に著しき聖霊の降臨ありしと。幸福なる朝鮮国、彼女は今やその政治的自由と独立とを失いて、その心霊的自由と独立を獲(え)つつあるがごとし。願う、かつては東洋文化の中心となり、これを海東の島帝国にまで及ぼせし彼女が、今や東洋福音の中心となり、その光輝を四方に放たんことを。神は朝鮮国を軽蔑(かろし)めたまわず、神は朝鮮人を愛したもう。彼らに軍隊と軍艦とを賜わざるも、これにまさりてさらに力強き聖霊を下したもう。朝鮮国は失望するに及ばず。昔、ユダヤがその政治的自由を失いてより、その新宗教をもって西洋諸邦を教化せしがごとくに、朝鮮国もまたその政治的独立を失いし今日、新たに神の福音に接して、これをもって東洋諸国を教化するを得るなり。余輩は朝鮮国に新たに聖霊の下りしを聞いて、東洋の将来に大なる希望をつなぎ、あわせて神の摂理の、人の思いに過ぎて宏(こう)かつ大なるに驚かざるを得ず」(『内村鑑三信仰著作全集 7』、235ページ)
次第に内村は、日本が担うと信じていた東洋啓蒙の霊的先駆者としての使命が、朝鮮に移ったと感じ始める。
1910年の日韓併合に当たっては、内村は国を取って喜ぶ日本国民一般とは反対に、国を失って悲しむ民に思いを寄せ、日本が結局は領土を増大して霊魂を失ったことを嘆いている(参照:『内村鑑三信仰著作全集 17』「領土と霊魂」、332ページ)。
「朝鮮国はたぶん日本に先だちてキリスト教国たるべし」というソウル在留の米国宣教師からの手紙を受け取っていた内村は、朝鮮の霊的復興に比べ、日本は霊的な枯渇、精神的な暗黒の状態に陥っていることを嘆いた。