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女性の立場から見たレダ 11

(『世界家庭』2017年5月号「心情の十字架を超える道—女性の立場から見たレダ—(後)」より)

 『世界家庭』に掲載された飯野絢子(あやこ)さんの証しを、毎週水曜日配信(予定)でお届けします。

 飯野貞夫・天一国特別巡回師(777家庭)の夫人・絢子さん(2024年10月聖和、享年86)は、飯野巡回師と共に2008年から4年間にわたってレダ(パラグアイ)に滞在し、開拓にいそしむ日本人国家メシヤたちを支えました。そんな絢子夫人のレダでの歩みを紹介します。

▲飯野貞夫さん・絢子さん夫妻(2011年、レダ)

お父様がなさりたかった魚の養殖に着手

 レダ周辺は、昔は海だった場所です。塩分を含んだ粘土質の土地ですが、それを踏まえたうえで、未来の食糧問題に対し、また環境問題に対し、さまざまな実験的な試みを続けて、現在に至っています。

 そのような中で、真のお父様がやりたかったと言われた魚の養殖に2010年から本格的に取り組み、パクー(南米原産の淡水魚)の孵化(ふか)にチャレンジしてきました。2011128日、私たち夫婦と青木悦子さん(ロシア、1800家庭)、国立アスンシオン大学水産学部のマグノ教授ほか数人で、買い求めたパクーの稚魚5千匹と共に、軍用機でレダに降り立ちました。

 後にイーストガーデン(米国・ニューヨーク)にご報告に上がった責任者の手元から真のお父様が取り上げられたのが、稚魚の袋の写真(下)でした。「これ一枚でいいだろう」と言われて書いてくださった貴重な貴重なサインです。

 その後、レダではたゆまぬ努力が続けられ、稚魚を購入していた時代から、マグノ教授の指導のもと、自力で孵化させられるようになったのです。

 大きな網を使っての密漁と乱獲でパラグアイ川の魚は減る一方という現実がありました。大切な水産資源は保護していかなければなりません。2013年からは毎年、10センチほどに成長した稚魚を川に返す「放流式典」を行うようになりました。

 20121230日が孵化成功勝利の日です。マグノ教授から、「レダの人たちは最高の生徒です」との評価を頂きました。真の父母様の夢が形になって顕(あらわ)れた記念すべき瞬間でした。中田実さん(ハンガリー国家メシヤ、777家庭)を中心に、基元節(2013222日=天暦113日)までに必ず成功させたいと努力を続け、奇跡的なスピードで勝利を収めることができたのです。

▲マグノ教授と日本人国家メシヤたち。後列右から上山貞和さん、中田実さん、マグノ教授、飯野貞夫さん(サウジアラビア)、青木通泰さん(チェコ)、東野正義さん(アフガニスタン)、大山哲夫さん(インド)、大和田法生さん(トリニダード・トバゴ)、前列右から飯野絢子さん、青木悦子さん(2011年1月3日、レダ)

 第1回の稚魚放流式典(201353日)の3日前に、中田さんは2日続けて真のお父様と夢で出会いました。

 1日目は懐かしい天勝号(1963年に進水式)をバックに、真のお父様が白い半袖シャツと白いズボンのお姿でお話をされるのです。「先生には孫が、名前を覚えられないほどたくさんいるが、その孫たちをここで教育してくれないか」と。中田さんは「はい!」とお答えしたそうです。

 翌日は、放流式典を行う岬に、真のお父様が前日と同じいでたちで来られ、ちりとりとほうきを手に、「先生は今から掃除をしに出掛けないといけない」と言われるので、中田さんが「ちょっと待ってください! 我々がしますから」と申し上げている夢だったというのです。

 レダにとって、また母の国、日本の勝利をかけてひたすら歩む私たちにとって、悟るべきものが示された象徴的な夢であるように思いました。

 式典は、現職のフランコ大統領を迎えて盛大に挙行されました。現地の村民たち七十数人も参加しました。そのようすは、月1回、南北米福地開発協会で発行している「パンタナール通信」で詳しく伝えられ、DVDにもまとめられています。

(続く)

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 次回は、「天宙聖和2周年記念行事に前大統領夫妻が参席」をお届けします。