2025.01.30 12:00
ほぼ5分で読める勝共理論 66
日本共産党について⑤
宮本顕治氏によるスパイ査問事件
編集部編
「査問」という名のリンチ
今回から、日本共産党の戦前の状況の中でも、特に宮本顕治氏によるスパイ査問事件についてお伝えします。
宮本顕治氏は、1958年に書記長という共産党トップの座に就任してから、40年もの間、日本共産党を指導した人物です。
宮本氏は、戦前の時代から共産党員として活動してきたのですが、実はその時に同じ共産党員をリンチで殺害するという事件を起こしていました。それで無期懲役になり、北海道の網走刑務所に収監されていたのです。
当時の日本共産党は特高警察(特別高等警察)によって監視されていました。クーデターを起こして政府の転覆を図っていたのですから当然です。
そして共産党の監視のためにつくられた特高警察は、共産党の内部にスパイを送り込んでいました。
特高警察であることを隠して共産党員に成り済まして、情報を集めていたのです。それで共産党の幹部が次々と逮捕され、一時は壊滅状態になりました。
共産党の内部は疑心暗鬼の状態になっていました。
「また幹部が検挙された」「誰がスパイなんだ」「あいつじゃないか」「いや、おまえこそスパイじゃないのか」。
そうやって、警戒し合っていたのです。
そんな中で、宮本氏は、大泉兼蔵と小畑達夫という二人の共産党員に対して、彼らはスパイだと断定して査問をすることを決定しました。
査問というのは取り調べをすることです。取り調べというと穏やかな感じがしますが、実際はリンチです。
「おまえはスパイだ。本当のことを言え。言わないと殴るぞ」といって延々と暴力を振るうのです。
これが査問です。「査問」という名のリンチです。
無期懲役となった宮本顕治
宮本氏らは二人に対して、会議を開くとだまして秘密のアジト(非合法活動などの秘密指導本部やその活動家の隠れ家)に呼び寄せました。
二人は手足を針金で縛られて、目隠しと猿ぐつわをされました。そして昼も夜も殴られ続けました。残虐なリンチが行われました。
当時の共産党は、『赤旗』という新聞を月2回発行していました。今の『しんぶん赤旗』の元になる新聞です。もちろん秘密結社の新聞ですから内部だけで読まれていました。
ただし警視庁は内部にスパイを送り込んでいたので、常に『赤旗』を読んでいました。するとある時の『赤旗』で、次のような記事が掲載されていたのです。
「中央委員小畑達夫、大泉兼蔵の両名は、党撹乱(かくらん)者として除名し、党規に基づき極刑をもって断罪する」
警視庁は、この「極刑」という表現に注目しました。
これはリンチが行われているに違いない。すでに殺されているかもしれない。近所で「助けてくれえ!」という叫び声を聞いたという通報があり、現地に直行したところ、大泉氏がピストルで射殺される寸前でした。
小畑氏はすでに死亡していて、死体は床の下に埋められていました。
二人は、前の日に偽の遺書を書かされていました。「思想的に行き詰まったので自殺する」という内容です。
こうして宮本氏は、治安維持法違反、監禁、監禁致死、監禁致傷、傷害致死、死体遺棄、銃砲火薬類取締法施行規則違反で訴えられて、無期懲役となりました。
では、無期懲役になった宮本氏が、どうして刑務所から出てくることができたのでしょうか。そして日本共産党はこの事件について、どのように主張しているのでしょうか。
その内容については、次回、お伝えしたいと思います。
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