2025.01.15 17:00
女性の立場から見たレダ 8
『世界家庭』に掲載された飯野絢子(あやこ)さんの証しを、毎週水曜日配信(予定)でお届けします。
飯野貞夫・天一国特別巡回師(777家庭)の夫人・絢子さん(2024年10月聖和、享年86)は、飯野巡回師と共に2008年から4年間にわたってレダ(パラグアイ)に滞在し、開拓にいそしむ日本人国家メシヤたちを支えました。そんな絢子夫人のレダでの歩みを紹介します。
真心さえあれば、言葉は不足でも気持ちは通じる(後)
私は仕事に来る女性たちに、料理や掃除を覚えてもらうのに一生懸命でした。彼らの生活には、当時、電気もガスもありません。ですから、レダの近代的な設備は、彼らにとっては大変なカルチャーショックだったと思います。
また、彼女たちには掃除の習慣がありません。多くは、ヤシの木を組んだだけの家に住んでいて、床もない土間の生活で、鶏や豚と同居です。掃除は土間をぱっぱっと掃くくらいがせいぜいで、「拭く」必要はないのです。
そんな彼女たちに、レダの建物の掃除について、「順番は上から下よ。天井のくもの巣取りから、窓枠、窓ガラスをきれいにして、最後に床を掃いて拭くように」「ぞうきんは、水が濁らなくなるまで洗ってすすぐのよ」など、一から教えていきました。夫の協力を得て、掃除の手順に沿って数百枚の写真を撮り、その中から選んだ写真で、コマ送り形式のマニュアルを作りました。
ここを訪れるゲストは国の要人がほとんどですから、清潔感を保つことをどう根づかせたらよいのかが最大の課題だったかもしれません。
特に火の扱いについては、うるさいくらい注意していたのですが、火事になりかけたことが二度あります。台所担当の女性が、肉を柔らかくしようと、火をつけっぱなしで宿舎に戻ってしまったのです。一度目など、すっかり水がなくなって、もうもうとした煙が食堂にまでまんえんしているのを、通常は行くことのない時間帯に偶然通りかかった夫が発見し、すんでのところで食い止めました。
料理といっても、向こうでは野菜を細かく切って肉と一緒にぐつぐつ煮る「ギソ」という食べ物がポピュラーで、全てをその方式で作ろうとします。ですから、みそ汁などは“大変な出来栄え”になるのです。
日本の調味料など、見たこともない人たちですから、それはしかたのないことでした。そこで私は、ご飯の炊き方やみそ汁の作り方についても、掃除のしかたと同様にテキストを作り、日本語とスペイン語の訳を付けて、台所に常備しました。
料理も掃除も、2人1組の3クルーで回していました。既婚女性の場合、夫の不倫が起きるため、長期間、家を空けることはできません。ですから2週間で次の組と交替させていました。
1週間に一度の定期船が、パラグアイ川の下流からやって来ます。その船が、帰るメンバーを乗せて川をさかのぼり、交替のメンバーを拾って下ってくるのですが、隔週に一度、現地の女性が誰もいなくなる日が出てきます。それが決まって金曜日で、その日だけは私が三食を作っていました。兄弟たちは、それを「金曜日の幸せ」と呼んでいました。それなりに日本食の懐かしい味が楽しめるからです。
私はアスンシオンへの便があると、必ずいろいろな食材を買ってくるよう頼みました。アスンシオンには、一軒の日本人が経営する店のほか、韓国系、中国系などオリエンタルの店がけっこうあるので、ゴボウやショウガなど、日本でなじみの食材が手に入るのです。特にショウガは何の料理にも合い、におい消しにもなるので、常備するようにしました。
また日本に一時帰国したときには、必ず乾物を買って戻りました。寒天、ひじき、切り干し大根、かんぴょうなど、軽いので、どっさり運びました。かんぴょうは、ちらし寿司で大活躍してくれました。
現地には、ポロトという、小豆によく似た豆があります。向こうでは塩味で食べるのですが、私はこれでお汁粉や水ようかんを作りました。冷やしておくと、殊のほか喜ばれたものです。「本当においしい」と、人気のスイーツでした。
日本ではありふれた食べ物でも、レダでは「金曜日の幸せ」になるわけです。レダでの生活は、創造性を発揮できる楽しい場でもありました。
(続く)
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次回は、「地球の裏側の清平に届いたレダでの祈り」をお届けします。