2025.01.10 12:00
誤解されたイエスの福音 13
アプリで読む光言社書籍シリーズとして「誤解されたイエスの福音」を毎週金曜日配信(予定)でお届けします。
パウロのイエス観は果たして正しかったのか。イエス・キリストの再臨期を迎えた今、聖書の記述をもとに徹底検証します。
野村健二・著
第二章 イエスの本来の使命
二、摂理変更の根本原因となった洗礼ヨハネの変節
エリヤの使命者、洗礼ヨハネ
ヨハネによる福音書には次のように記されています。
「ユダヤ人たちが、エルサレムから祭司たちやレビ人たちをヨハネのもとにつかわして、『あなたはどなたですか』と問わせたが」、ヨハネは「『わたしはキリストではない』と告白した。……『それでは、どなたなのですか、あなたはエリヤですか』。彼は『いや、そうではない』と言った」(ヨハネ1・19〜21)
では一体、この問題の「エリヤ」とはどういう人なのでしょう。実は、旧約聖書の最後のところに、最も重要な預言として、「見よ、主の大いなる恐るべき日(メシヤ到来の日)が来る前に、わたしは預言者エリヤをあなたがたにつかわす。彼は父の心をその子供たちに向けさせ、子供たちの心をその父に向けさせる。これはわたしが来て、のろいをもってこの国を撃つことのないようにするためである」(マラキ4・5〜6)と書かれているのです。
これは、神の国を完成させる王(メシヤ)を送る時、その前に預言者エリヤを必ず遣(つか)わす、それゆえ、エリヤが来て彼がこの人がメシヤだと証(あか)しするのでなければ、だれが何と言ってもその人をメシヤだと信じてはいけない、ということで、すべてのユダヤの、少なくとも知識人はこの預言を固く信じていました。
したがって、洗礼ヨハネがエリヤだと名乗るか、否定するかは大変な問題で、ヨハネが「自分はエリヤでない」と言ったのは、「イエスはメシヤではない」と言うのと全く同じことだったのです。
エリヤは歴史上の人物で、もちろんヨハネはエリヤ自身ではありません。しかし、ルカによる福音書によれば、上述のごとく、主の聖所で主の御使(みつかい/天使)がザカリヤに、「あなたの妻エリサベツは男の子を産む」(ルカ1・13)、その子──洗礼ヨハネは「エリヤの霊と力」(同1・17)を授けられた者だと明確に啓示し、ザカリヤはそのことをヨハネに何よりも重要なこととして教えていたはずですから、ヨハネは何が何でも自分は「エリヤ」だと命懸けで証言しなければならなかったのです。
では、歴史上のエリヤとはどういう人物であったのでしょうか。
エリヤはイスラエルの民が信じる神、主(ヤハウェ)と、イスラエルの王アハブの妻イゼベルが信じた異端の神、バアルのどちらが本当の神かを明らかにするため、「イスラエルのすべての人およびバアルの預言者450人、……アシラの預言者400人」を集めさせ(列王上18・19)、それぞれの神を呼んで、バアルか主か「火をもって答える神を神としましょう」(同18・24)と言い、民がみな賛成した結果、まずバアルの預言者が必死にバアルの名を呼んだが、何も起こらず、エリヤが「主よ、わたしに答えてください」と呼ぶと、たちまち「主の火が下って燔祭(はんさい)と、たきぎと、石と、ちりとを焼きつくし、またみぞの水をなめつくした」(同18・36〜38)。そこで民は皆見て、ひれ伏して「主が神である」と言った。そこでエリヤはかれらに「バアルの預言者を捕えよ」と言い、彼らを皆殺しにした(同18・39〜40)。こうして、最後には「つむじ風に乗って天にのぼった」(列王下2・11)という人物です。
このように、イスラエルの信仰が異端の神、バアルへの信仰によって全面的崩壊の危機に立たされていたのを完全に救い出した人物ですから、神が送ったメシヤ(キリスト)の証し人としては最適の人物だったので、預言者マラキに、主の日が来る前に、エリヤを遣わすと神は啓示されたのでしょう。
この決定的な不信仰を起こす時まで、ヨハネは大変な成功を収めていました。「ユダヤの全土とエルサレムの全住民とが、彼のもとにぞくぞくと出て行って、自分の罪を告白し、ヨルダン川でヨハネからバプテスマを受けた」(マルコ1・5)。「民衆は救(すくい)主を待ち望んでいたので、みな心の中でヨハネのことを、もしかしたらこの人がそれ(キリスト)ではなかろうかと考えていた」(ルカ3・15)。
しかし、「自分はエリヤではない」というこの一言ですべては台なしになってしまったのです。
イエスはこのことについてこう述べておられます。「エリヤはすでにきたのだ。しかし人々は彼を認めず、自分かってに彼をあしらった。人の子(イエス)もまた、そのように彼らから苦しみを受けることになろう」(マタイ17・12)と。
「そのとき、弟子たちは、イエスがバプテスマのヨハネのことを言われたのだと悟った」(同17・13)とも記されています。
漁師や取税人などの無学なイエスの弟子たちでさえ、エリヤとはヨハネのことだと気がついたというのですから、これがユダヤ社会にどれほど大きな影響を与えたかが分かります。ヨハネに従っていた「ユダヤ全土とエルサレムの全住民」(マルコ1・5)は、もはやイエスをメシヤと信じる根拠がなくなったのです。(もちろん、人々が「勝手にヨハネをあしらった」のではなく、ヨハネの方が勝手に“戦列を離れてしまった”のです。)
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次回は、「洗礼ヨハネの不信」をお届けします。