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誤解されたイエスの福音 14

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「誤解されたイエスの福音」を毎週金曜日配信(予定)でお届けします。
 パウロのイエス観は果たして正しかったのか。イエス・キリストの再臨期を迎えた今、聖書の記述をもとに徹底検証します。

野村健二・著

(光言社・刊『誤解されたイエスの福音』〈2011111日初版第1刷発行〉より)

第二章 イエスの本来の使命

二、摂理変更の根本原因となった洗礼ヨハネの変節

洗礼ヨハネの不信
 文鮮明(ムン・ソンミョン)師は、この洗礼ヨハネの変節、不信仰のゆえに、危機に瀕した神の摂理をもう一度、軌道に戻すために、やむなくイエスは荒野に行き、「四十日四十夜、断食をし」、悪魔の試み(三大試練)に打ち勝たなければならなくなった(マタイ4111、マルコ11213、ルカ4113)のだと言われます。ヨハネさえイエスに従い、その第一の弟子となって証(あか)し人となれば、この三大試練は全く不必要だったのだというのです。

 ヨハネはこうして摂理の軌道から外れてしまったばかりでなく、正義のためと言いながら、この大切な神のみ旨とは何の関係もない全く余計なことをし始めます。

 領主ヘロデが「自分の兄弟ピリポの妻ヘロデヤ」に横恋慕して、彼女を自分の妻にしたのに対し、ヨハネは「その女をめとるのは、よろしくない」(マタイ144)(「兄弟の妻をめとるのは、よろしくない」〈マルコ618〉)と抗議したのです。ヘロデはそのため、「ヨハネを捕(とら)えて縛り、獄に入れて」しまいます(マタイ143)。

 そうなってからやっと「ヨハネは獄中でキリストのみわざについて伝え聞き、自分の弟子たちをつかわして、イエスに言わせた、『“きたるべきかた”はあなたなのですか。それともほかにだれかを待つべきでしょうか』」(マタイ1123)。

 ここでやっとヨハネは、イエスは本当のメシヤかもしれない、もしそうだとすれば、いま自分はこんなことをしてはおられず、メシヤの先駆けとしてユダヤ全土にそのことを伝える務めに専念しなければならないのかもしれないと気づき始めたわけです。生まれつきエリヤの使命を受けている者だというのに、何ということでしょうか。

 イエスはこう答えるしかありませんでした。「『見よ、わたしは使(つかい)をあなたの先につかわし、あなたの前に、道を整えさせるであろう』と書いてあるのは、この人のことである。あなたがたによく言っておく。女の産んだ者の中で、バプテスマのヨハネより大きい人物は起(おこ)らなかった。しかし、天国で最も小さい者も、彼よりは大きい」(マタイ111011)。

 「最も小さい者も、彼よりは大きい」のであれば、どう考えても、いまや「彼」は最低の人物だという意味だとしか考えようがありません。この一節を一般のキリスト教の解説者は、「彼」ではなく、「キリスト者」のほうに焦点を置いて、「キリスト者はみなヨハネより大きな恵みを受けている。だから感謝しなければならない」というように穏便に解釈するのが通例のようですが、ヨハネに焦点を置けば、「ヨハネは最低の人間だ」ということになります。40年近くも前のこと、私がカトリックの神父さんにそう言ったら、「そんな解釈もあるんですか」と仰天していたのを思い出します。

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 次回は、「洗礼ヨハネ変節の理由」をお届けします。


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