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内村鑑三と咸錫憲 5
日清戦争「義戦論」の誤りを直ちに反省した内村鑑三

魚谷 俊輔

 韓民族選民大叙事詩修練会において、内村鑑三が近代日本の偉大なキリスト教福音主義者として紹介され、その思想が弟子である咸錫憲(ハム・ソクホン)に引き継がれていったと説明された。
 咸錫憲は文鮮明(ムン・ソンミョン)総裁が若き日に通われた五山学校で教師を務めた人物だ。そこで内村鑑三から咸錫憲に至る思想の流れを追いながらシリーズで解説したい。

 日清戦争が勃発すると、愛国者であった内村は日本の武力行使を「義戦」であると主張し、この戦争を全面的に支持した。
 彼はこの戦争の目的が朝鮮民族を支那の圧制から解放し、支那の国を暗黒の文明のくびきから解放することにあると信じた。

 彼は日本が勝利すれば、自由な政府、自由な宗教、自由な教育、および6億のアジア民族のための自由な商業活動が確立されるものと信じていた。
 それは彼の楽観的な「日本の天職」論に裏付けられていた。

 日清戦争はわずか8カ月で終わった。
 しかし戦争が終結しても日本はその約束を守らなかった。
 すなわち、戦争の主たる目的が朝鮮の独立であったのに、今やそれは完全に無視され、政府はこの戦争を朝鮮人民に対する搾取や商業権益獲得のための手段にしてしまったのである。

 内村は初めこの戦争が朝鮮を守る「義のための戦争」であると考えていたが、やがてその戦争が「欲の戦争」であったことを知り、義戦を唱えた自分を後悔する。

 米国の友人ベルに宛てた1895522日付けの手紙の中で内村は、「『義戦』は掠奪戦に近きものと化し、その『正義』を唱へた預言者(内村)は、今や恥辱のうちにあります」と反省している。
 そしてその翌年、『地人論』第二版の序文には、「日清戦争以後の日本人は、余が本書に於て論究せしが如き大天職を充たすの民にあらざるを証するが如し」と記さざるを得なかった。

 日清戦争はこのように、内村における日本のビジョンに最初の打撃を与えたのである。
 ここで重要なことは、内村が日清戦争の遂行の仕方とその結実とを見て、その中に戦争肯定をした自分の判断の誤りを直ちに自覚し反省したことである。

 戦争の勝利に国民一般や知識人が酔っていたまさにその時に、内村はこの戦争遂行の本質が何であったかを戦争の事実過程を通してまざまざと認識し、彼らとは正反対に、道を誤った日本の将来に滅亡を予感し始めたのであった。

 当時、『万朝報』という新聞社に勤めるジャーナリストであった内村は、鋭い皮肉のきいたペンで国家の指導者たちを攻撃した。

 内村の鋭い論調は、一躍彼を有名にした。彼の頑固なまでの独立精神と原則に対する忠実さは、その見事な風刺のスタイルと相まって、彼の「預言者」あるいは明治政府に対する辛口の批評家としての位置を不動のものにした。