2025.01.01 17:00
女性の立場から見たレダ 6
『世界家庭』に掲載された飯野絢子(あやこ)さんの証しを、毎週水曜日配信(予定)でお届けします。
飯野貞夫・天一国特別巡回師(777家庭)の夫人・絢子さん(2024年10月聖和、享年86)は、飯野巡回師と共に2008年から4年間にわたってレダ(パラグアイ)に滞在し、開拓にいそしむ日本人国家メシヤたちを支えました。そんな絢子夫人のレダでの歩みを紹介します。
「栄光の王冠」を胸にレダの長期滞在に臨む(後)
レダは大家族です。開拓当初から現地インディヘナの人たちと仕事を共にしてきましたが、その人たちを含めると、総勢40人を超えることもありました。
男性の仕事は、主に外回り全般。牧畜、養豚、農業、植樹、そして養殖など、レダのプロジェクトに携わります。女性は主に食事作りと掃除ですが、私は、内務・管理の担当だった大和田法生さん(トリニダード・トバゴ国家メシヤ、1800家庭)と一緒に、その全般に関わるようになりました。“主婦”不在のまま8年余りが経過していたのですから、私に願われたことがどんなものか、多少は想像していただけるかと思います。
40キロそこそこだった体重は、わずかの期間で36キロに落ちました。90は欲しい血圧(上)も80台が普通でした。でも、健康な36キロはけっこう、通用することも知りました。
そうして4か月たつ頃から、女性の目から見た改善策などを中田実所長(ハンガリー国家メシヤ、777家庭)に提案し、少しずつ実行していきました。
1日のスケジュールは、朝4時に起床し、訓読で出発します。男性は、昼は開拓にいそしみます。重労働ですから、小まめに休憩を取りながらの作業です。そして午後5時に終了。6時の夕飯までにシャワーや洗濯などを終えれば、遅くとも8時には就寝することができます。ですから、4時起床も可能なのです。
ただ、私は8時に床に就くことなど、到底できませんでした。夕食後、男性たちが翌日、仕事の現場に持っていく飲み物を準備するのです。湯を沸かして、2リットル入りのボトル、3、4本分のお茶を作り、冷やします。甘い飲み物などより、冷たい日本茶がいちばん喜ばれました。
その準備が終わると、主婦であれば誰でもするように、台所を中心に全てを見回って、私の1日は終了です。早くても10時は過ぎていました。
私はここでの生活の中で、全てを平等に見る、愛の基準を一定させていくことに心を砕きました。当然、心が穏やかでないときもありましたが、自分の心を治めて努力しました。兄弟たちの話を聞くにしても、インディヘナの人たちの中に入るにしても、決して偏ってはいけない、誰の味方をしてもいけないと。それが自然に、「真の父母様だったらどうなさるだろう」と、常にそのご心情を尋ね求める生活に導かれていったように思います。
日本食を渇望する兄弟たちから、毎日のように無言のリクエストがありました。その意を酌み取って、順番にかなえてあげることに努めました。「きょうは伊達勝見さん(ラオス国家メシヤ、1800家庭)希望のちらし寿司」「きょうは大山哲夫さん(インド国家メシヤ、1800家庭)希望の切り干し大根の煮物」といった具合に——。
同時に、現地の労働者たちにも、食べ物や労働条件などで、寂しさや不公平感を感じさせないように注意しました。1か月間、小皿とスプーンを持って、労働者食堂の昼食の味見に通ったこともあります。「これにスープがあったら、もっといいね」などと提案しながら。
朝、外に出ると、蛇がはったと思われる、幅10センチ以上もある帯状の跡が地面に残っていたり、大家族で移動するカピバラのふんが土手の上に散乱したりしていました。それを見て、夜はここの本来の主人たちの活動の時間なのだとしみじみ思い、我々のほうこそ侵入者にすぎないと考えたこともあります。
レダの大変さは、暑さや蚊の大群、猛獣など、数え上げたら切りがありません。いかに危険な環境であったかは、中田所長の口癖が、「何があってもおかしくない」であったことでも分かります。
しかし、何にもまして大変だったのが、アベル・カインの闘いでした。男社会ということもあり、表現がストレートで熾烈だったのです。口争いから、手が出るかなと危ぶまれるようなやり取りに至るまで、さまざまな出来事が起こりました。それを目の当たりにしながら、私は「良かったわね。心の中にしまっておいたら超えられないのよ。言えてよかったわね」などと平気で言う人に変化していきました。
インディヘナの人たち同士の争いには、もっと熾烈なものがありました。「殺すぞ!」と言えば、本当にそうなるのです。その争いのために、隣の村に引っ越した女性もいました。
(続く)
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次回は、「真心さえあれば、言葉は不足でも気持ちは通じる」をお届けします。