2024.12.25 17:00
女性の立場から見たレダ 5
『世界家庭』に掲載された飯野絢子(あやこ)さんの証しを、毎週水曜日配信(予定)でお届けします。
飯野貞夫・天一国特別巡回師(777家庭)の夫人・絢子さん(2024年10月聖和、享年86)は、飯野巡回師と共に2008年から4年間にわたってレダ(パラグアイ)に滞在し、開拓にいそしむ日本人国家メシヤたちを支えました。そんな絢子夫人のレダでの歩みを紹介します。
「栄光の王冠」を胸にレダの長期滞在に臨む(前)
2008年5月12日、夫婦で日本を飛び立ちました。
実は、同年3月16日、夫がレダにいる中で、突然、私たち夫婦のレダ現地への異動が発表されたのです。韓国・麗水(ヨス/2005年の海洋指導者40日修練会)で唱え続けていた「사고는 순간이다(サゴヌン スンガニダ)」(事故は瞬間だ)という言葉が頭をよぎり、「一瞬にして起こる心の事故に引っかからずに超えよう」と思うしかありませんでした。翌3月17日未明、孝進(ヒョウヂン)様が急に聖和(ソンファ)されたことと重なり、忘れがたい2日間となりました。
このとき私がレダに携えていったみ言が、真のお父様が16歳のときに書かれた祈祷の詩文「栄光の王冠」でした。これは、きちんと表装を施し、今も修練所の訓読室に飾られています。
「人を疑わんとする時、私は苦しみ、悶えます。人を裁かんとする時、私は堪えきれません。人を憎まんとする時、私は無価値になり果てます……」
これを読みながら、真のお父様が天命に徹して生きようとされた決意と覚悟をしのびました。そして、レダ摂理の出発のいきさつを思い、そこにかけられた真の父母様の願いの大きさを思って、これを座右の銘としたのです。
レダに入るに当たって問われるのは心の姿勢です。たとえそれが誰であっても、ひとかけらのおごりも持ち込むことが許されない場所なのです。すでにほぼ10年間、その地で歩み、培われてきた兄弟たちの心情と苦労の結実があるのです。その全てを相続しなければという思いで、頭がいっぱいでした。開拓の初期から数年間、奉仕を続けてくださった浜川節子さん(スリランカ国家メシヤ、777家庭)の歩みを貴く思い起こしました。
私は、その出発点が「僕(しもべ)の僕」ではまだ高すぎると思いました。「僕の僕」以下の基準を探していたところ、答えは、日本人国家メシヤ修練会(1999年8月1日〜9月26日、パラグアイ・オリンポ)でのみ言の中にありました。「古株は肥料になれ」という一行。これだったらできるかもしれないと思いました。肥料は影も形も残りません。ただ、地面に染みて地を潤していくのですが、そこから新しい命が育つのです。
このみ言は、さらにこう続きます。「先生の肥料の生涯に入るには、全部任せて、訓読会をやって、最後には訓読会を通して先生の晩年の歴史を相続して……」
嗚呼(ああ)、真の父母様!
み言を生きてみなければ。自らの骨と肉を通して生きてみなければ——。
私はひたすら、黙々と汗を流しました。
(続く)
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次回は、「総勢40人を超える大家族レダ」をお届けします。