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女性の立場から見たレダ 4

(『世界家庭』2017年3月号「心情の十字架を超える道—女性の立場から見たレダ—(前)」より)

 『世界家庭』に掲載された飯野絢子(あやこ)さんの証しを、毎週水曜日配信(予定)でお届けします。

 飯野貞夫・天一国特別巡回師(777家庭)の夫人・絢子さん(2024年10月聖和、享年86)は、飯野巡回師と共に2008年から4年間にわたってレダ(パラグアイ)に滞在し、開拓にいそしむ日本人国家メシヤたちを支えました。そんな絢子夫人のレダでの歩みを紹介します。

▲飯野絢子さん(2011年)

レダへの長期滞在までの10年は天の訓練の期間だった

 私が本格的にレダに滞在するようになったのは2008年からで、オリンポでのみ言から10年たっていました。振り返ってみると、その10年は、私がレダ開拓に携わるための訓練期間だったように思います。

 訓練の一つは、麗水(ヨス)での海洋指導者40日修練会(第10次、200572日から)でした。

 それに先だち、米国・ノースカロライナ州のボート工場を見学するツアーが組まれたとき、夫が案内役として12人と共に参加しました。その後、在米メンバーも含めて21人と共にイーストガーデン(ニューヨーク)の真の父母様のもとにご挨拶に伺ったとき、夫は真のお父様から「あんたが責任を持って、21人の女(国家メシヤの夫人)を、(麗水の修練会に)首に縄を付けてでも参加させよ」とのみ言を受けたのです。

 そのうえ、真のお父様と夫との間に、このようなやりとりがあったというのです。

 「あんたの奥さんは二つ上だろう。幾つや。3歳か、4歳か?」「三つです」「そうだろう、名前は何だっけ」「絢子です」「『いい』という答えを早く答える子供だから、『はやこ』なんだ」「あやこです」「声を大きくして、『いい』という答えを早く言うために、喉が痛くなるから『あやこ』になったんだから(아야〈アヤ〉は〈あっ、痛っ〉という意味)、そう考えて。絢子も必ず出すように」

 真のお父様と夫との間にそんな会話があったとはつゆ知らず、私は、夫の帰国前に、すでに麗水の修練会参加の申し込みを終えていました。

 麗水の海は、修練会の前年の2004年、真のお父様が双合十勝日を宣布なさるために85日間の精誠条件をささげられた場所です。その同じ海で、修練生たちは洋上の訓練を受けたのです。163人の参加者のうち、国家メシヤの夫人は26人だったと記憶しています。前半はまだ梅雨の時期で、雨や風、霧の日が多く、後半は真夏の炎天下となりました。

 この訓練があったおかげで、レダの環境もそれほど大変だとは感じませんでした。気温が40度、50度であろうが、いくら蚊の大群が押し寄せようが、海の上ではなく、陸だというだけでありがたかったのです。

 もう一つの訓練は2007年、解産(ヘーサン)摂理において巡回師の任を賜ったことでした。巡回の担当地は、くしくも、現在、夫が天一国特別巡回師として巡回しているのと同じ、京都、奈良、三重、滋賀の辺りでした。

 この巡回を通して、私は黙々とみ旨を歩む食口たちの言うに言えない苦労と心の痛み、そうした中での精誠、また教会の実情や課題などを把握することになります。この期間、私にできることは、先に歩んだ者として不足だったことに対する悔い改めが全てであったと言えます。後に続いてくる兄弟姉妹の前に、たとえわずかでも歩みやすい道を拓(ひら)くべきだったのに、と。

 このような天の訓練を土台に、私はレダでの長期滞在に臨むことになります。

(続く)


2006年5月12日の「レダ通信」から抜粋
(飯野絢子記)

 早朝の冷たい空気が心地よく、パワーあふれる現地の人々、雄大な自然と動物たちともども、一日が始まります。一日を48時間にしてあれもこれも取り組みたい思いです。

 56日の日陽園(真のお父様がレダの地に命名)巡りのときに、支流に沿って行く岸辺や路上で5匹ものワニに遭遇し、あまりにも次々に登場するので、「もうワニはいいから、今度は虎にでも会いたいね」などとかってなことを言いながら帰りました。ところが翌7日、何と虎のオスが牧童に捕まって運ばれてきたではありませんか。虎にも事情はあると思いますが、我々の大切な子牛を3頭も餌食にした虎たちのうちの1頭であるのは間違いないとのことでした。

▲前列左から岩澤正子さん、絢子さん、坂口松三郎さん(イエメン国家メシヤ、777家庭)、後列左は戸石文夫さん(ジブチ国家メシヤ、1800家庭)

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 次回は、「『栄光の王冠』を胸にレダの長期滞在に臨む」をお届けします。