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内村鑑三と咸錫憲 2
文明西進説と日本の天職

魚谷 俊輔

 韓民族選民大叙事詩修練会において、内村鑑三が近代日本の偉大なキリスト教福音主義者として紹介され、その思想が弟子である咸錫憲(ハム・ソクホン)に引き継がれていったと説明された。
 咸錫憲は文鮮明(ムン・ソンミョン)総裁が若き日に通われた五山学校で教師を務めた人物だ。そこで内村鑑三から咸錫憲に至る思想の流れを追いながらシリーズで解説したい。

 今回は「文明西進説」と「日本の天職」について詳しく説明する。
 内村鑑三の言葉を引用してみよう。

 「古来より今日に到るまで文明は常に西に向つて進み地球運轉の方向正反對に向かい西行するものなることは歴史家竝に哲學者の時々發表せし持論なり」(『内村鑑三選集』第二巻 9ページ)

 内村はその例として、米国独立時代の政治家ジョン・アダムス、イタリア人ガリアン(17281787)、経済学者アダム・スミス(17221790)、18世紀中ごろの紀行者ボルナビーなどを挙げている。(『内村鑑三選集』第二巻 10ページ)

 内村の論ずるところによれば、文明はアジアにおいて始まり、東と西の両方に向かって流れて行った。西に向かった流れはバビロン、フェニキア、ギリシア、ローマ、ドイツ、イギリスと進み、アメリカの太平洋側で最高点に達し、そして今日本に到達した。

 西洋の世界文明に果たした主要な貢献は、自由と自立の精神である。文明の第二の大きな流れは、インド、チベット、中国を通って、北京の満州宮廷に達した。この東洋文明の流れは、西洋において著しく欠けている相互依存と調和を特徴としている。

 「日本は東洋竝に西洋の中間に立つものにして兩洋の間に横たはる飛石(ステップ・ストン)の位地に居れり…日本國本土は…其腹部を西洋文明の粹を受けつつある所の米國に向け、右手を以て歐米の文明を取り左手を以て支那竝に朝鮮に之を受け渡すの位地に居るが如し、日本國は実に共和的の西洋と君主的の支那との中間に立ち基督教的の米國と佛教的の亜細亜との媒酌人の地位に居れり」(『内村鑑三選集』第二巻 8ページ)

 内村は日本の使命を、東洋の代弁者となり、西洋の先ぶれとなって、東洋と西洋を和解させ、世界文明の大きな二つの流れを統合することにあると見ていた。
 これが内村鑑三の「日本の天職」という概念である。

 これは西洋と東洋が日本で出合って、新しい文明が生まれるという発想である。
 この西回りの文明の話は、『原理講論』や真のお父様(文鮮明〈ムン・ソンミョン〉師)の思想によく似ている。

 内村は生涯の課題として、この「日本の天職」を果たすためにも、西洋のキリスト教と日本文明が出合わなければならず、西洋のまねごとではない、真に日本的なキリスト教を確立しなければならないと考えたのである。