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内村鑑三と咸錫憲 1
日本の天職、日本の使命

魚谷 俊輔

 韓民族選民大叙事詩修練会において、内村鑑三が近代日本の偉大なキリスト教福音主義者として紹介され、その思想が弟子である咸錫憲(ハム・ソクホン)に引き継がれていったと説明された。
 咸錫憲は文鮮明(ムン・ソンミョン)総裁が若き日に通われた五山学校で教師を務めた人物だ。そこで内村鑑三から咸錫憲に至る思想の流れを追いながらシリーズで解説したい。

 初めに内村鑑三について基本的なことを押さえておきたい。
 彼は一言でいえば愛国的なキリスト者であった。内村のモットーは、「私は二つのJを愛する、それはJesusJapanである」という言葉に集約される。

 Jesusを愛するということの中に、キリスト教徒としてのアイデンティティーが表現されており、Japanを愛するということの中に、愛国心が表現されている。これをいかに一致させるかということが、内村が生涯かけて求めたテーマであった。

 彼の聖書の背表紙に生涯書かれていて、最後に墓標に刻まれたのが、以下の有名な言葉である。

 I for Japan
 (われは日本のため)
 Japan for the World
 (日本は世界のため)
 The World for Christ
 (世界はキリストのため)
 And all for God
 (そして全ては神のため)

 「われは日本のために生きる」ということは、日本のために命を棄(す)てても惜しくないくらい日本を愛しているということだ。
 ところがそれは、日本一国だけがよければよいという偏狭なナショナリズムではなく、日本は世界のために生きてこそ、その使命を果たし、神の愛を受けることができると内村は考えた。

 さらに、世界はキリストのため、そして全ては神のためというように、愛国心が神に対する信仰に縦的に昇華されていかなければならないと彼は考えた。

 当時の日本では、キリスト教信仰と愛国心を一致させることは非常に難しいテーマであったが、それを生涯をかけて追い求めたのが内村であった。

 内村は「日本の天職」という考えを持っていて、『原理講論』や文鮮明総裁が語られている内容とよく似た歴史観を持っていた。
 内村は文明が西へ西へと進んでいくという、「文明西進説」という考えを説いている。

 アジアにおいて初めて近代化され、キリスト教を受け入れた日本が、西洋と東洋の懸け橋になって、洋の東西を統一する重要な使命があると彼は考えた。

 これが内村鑑三の「日本の天職」という概念である。
 内村は日本に神の摂理が働いていると信じており、日本の使命は西欧諸国と他のアジアの国々を連結することであると考えていた。