2024.12.14 22:00
ほぼ5分で読める統一運動 30
「許せ、愛せ、団結せよ」
稲森 一郎
「ウォーターゲート事件(Watergate scandal)」は、1972年に起きたアメリカ合衆国の政治スキャンダルです。
1972年6月、ニクソン大統領再選のための秘密工作班が、ワシントンD.C.のウォーターゲートビルの民主党全国委員会の本部事務室に盗聴装置を設置したことが発覚しました。
これにより、ニクソンは大統領職を辞任する1974年8月まで、苦境に立たされることになります。
文鮮明(ムン・ソンミョン)師夫妻は、アメリカの精神と信仰、価値観が一大危機に直面したと判断し、1973年11月30日、「許せ、愛せ、団結せよ」という旨の「ウォーターゲート宣言」を、「ニューヨーク・タイムズ」と「ワシントン・ポスト」の全面広告で発表しました。
ウォーターゲート事件によって、アメリカの経済的危機が招来し、世界的な指導力が喪失することを文師は憂慮し、この隙を狙って国際共産主義が勢いを増すことがないように警告したのです。
そのような経過の中で文鮮明師は、1974年2月1日、ホワイトハウスの大統領執務室で、ニクソン大統領と会談することとなりました。
文師は、ニクソン大統領との会見について、以下のように語っています。
「私がニクソンを支持したのは、ベトナム戦争をアメリカの勝利で終わらせるという目的があったからです。早く終わらせなければならないというのです。そうすれば、アジア防御圏が延長されると考えたのです。ですから、ニクソン・ドクトリンを修正しなければならないという結論に達しました。ニクソン・ドクトリンのとおりになれば、韓国の安全保障の問題は自動的に下火になっていくのです。アメリカとアメリカ大統領が一つになり、アジアと一つになる道を神様が願っていらっしゃるのに、アメリカと大統領を分立させ、これを破綻させようとしているというのです。
ですから、私は、『許せ、愛せ、団結せよ』と主張しました。そうすれば、そこでキリスト教がニクソンと一つになり、全国民と一つになるでしょう。私が主張したことが動機となってそのようになれば、お父様と一つになるのです。お父様がアメリカを救い、一つにした功労者として登場するというのです。そのようになれば、ニクソンは私に相談するようになります。そのようになっていたならば、このウォーターゲート事件は即刻、解決したでしょう」(天一国経典『真の父母経』688~689ページ)
「ウォーターゲート宣言」の狙いは、まず国際共産主義からアジアを防衛することです。つまり、北べトナムに勝利させてはならないということです。
次に、韓国の安全保障の強化です。当時、北朝鮮が南進トンネルを掘り、ソウル陥落の作戦をひそかに遂行していたからです。
しかしウォーターゲート事件の様相は、アメリカ国内の左翼勢力の工作によってアメリカとニクソン大統領を分断し、メディアを通してニクソン大統領を引きずり下ろす方向に誘導されていました。
共産主義の恐るべき策謀がニクソン辞任劇の背後に働いていたのです。
1969年7月、ニクソン大統領が示した外交路線(ニクソン・ドクトリン)は、アジアでの過度な介入を抑制することを表明した基本外交路線でしたが、ベトナム戦争の泥沼化と、米国経済の落ち込みは止まらず、この外交政策は失敗します。
ニクソンが辞任しなければ、アメリカは文鮮明師が示す道を選択していたはずです。