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青年の希望 2

 あの『文鮮明(ムン・ソンミョン)師御夫妻メッセージ集 青年の希望』が、30年の時を超えてBlessed Lifeに掲載されることになりました。
 「膨大な文師の講話集の中から、特に日本の青年に対して希望を与えようと、日本語で語られたもの」が選ばれ、まとめられたみ言集です。
 若い世代はもちろん、全世代にお読みいただきたい、読めば読むほど、元気が出てくるメッセージ集です。(一部、編集部が加筆・修正)


(光言社・刊『文鮮明師御夫妻メッセージ集 青年の希望』〈1995年11月10日初版発行〉より)

 1974年7月15日~8月23日、米国・ニューヨーク・ベリータウンにおいて、欧米の教授や学生との共同生活、講義、討論などを通し文化の違いを越えた出会いをなし、また、今後の世界的指導原理の在り方を探ろうとする「国際指導者セミナー」が開催された。
 「青年の希望」のメッセージは、そこに各国から参加した大学生たちに対して語られた文鮮明師の講話(7月29日)の内容である。

希望を抱かない青年はいない

 希望を抱かない青年はいません。
 では、その希望、あるいは野心とは何でしょうか。

 「専攻する分野で成功することが私の野心です」と言う人もいるでしょう。
 しかし、そう答える人に「それが本当にあなたの野心なのですか」と真剣に問うてみる時、それを本当に確信している人はそれほど多くはいないことが分かります。そして、その野心を達成した時に、再び新しい野心に向かって出発しなければならなくなるのです。

 こういうことはよくあることです。
 例えば教授として成功し、教壇に毎日立っていても、突然、これは自分がずっと求めてきた野心ではない、ということに思い至ることもあるでしょう。

 たとえ自分の野心を達成したとしても、「私はそれを成し遂げ、本当に幸福であり満足している」と感じることのできる人はほとんどいません。
 いったんある段階に達したならば、それを乗り越えていきたいと思うようになるものです。

 言い換えれば、人は現実にとどまることなく、それを乗り越えていきたいと思うものなのです。
 それではいったい、究極の青年の希望、あるいは野心とは何でしょうか。

 たとえ、どんなに一生懸命やったとしても、その野心を達成した時、「私は幸せです。野心を成し遂げたからです」と言うことも、またそれを聞くこともありません。
 どんな世界的人物になろうと、さらに高い目標を目指さなければならなくなるからです。

 それでは、若者はいったい何を望んでいるのでしょうか。
 それは、永遠に代わることのない世界の中心存在となること、これが青年の野心ではないでしょうか。

 しかし、たとえその野心を成し遂げることができたとしても、もしその人が人格的に完成されていなければ、彼は人間として不幸だといえるでしょう。

(続く)

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 次回は、「希望は私自身の中から出発するをお届けします。