2024.12.02 17:00
スマホで立ち読み Vol.35
『家庭と教会学校で育む 子女の心情と信仰』15
座間保裕・著
スマホで立ち読み第35弾、『家庭と教会学校で育む 子女の心情と信仰』を毎週月曜日(予定)にお届けします。
本書は長年にわたる子女教育の研究と実践の集大成として、家庭教育での父母の在り方についてまとめられた一冊です。
第1部はQ&A形式の提言、第2部は第1部の内容についての理論的な解説がまとめられており、実践と理論の両面で学べます。
※本文中の行事名などは、全て掲載当時の名称です。
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第2部 祝福家庭の父母に贈る、子女教育論考
第1章 神様の人間始祖に対する教育に倣う
第1節 投入して、投入して、それでも不足を感じる神様
天一国(てんいちこく)時代を迎えて、子女教育をいかにすべきかを考えた時、見倣うべき原則は「神が人間の教育をいかにしたか」ということです。その点について確認したいと思います。まず、神様の心を分かりやすく紹介しているみ言(ことば)を紹介します。
「貧しい家の父母は、金持ちの家の息子・娘を見れば、心が痛むのです、…父母は一級品を買ってきて、金持ちの家の息子・娘以上によく着せ飾らせたいと願うにもかかわらず、それができないことに対して、心には深い寂しさが残るのです。そうですか。そうではありませんか。(そうです)これが本性の心なのです。買ってあげても負い目を感じているのです。これが本質世界の出発の起源なのです。創造世界、本質世界の動機が、そこから始まったのだということを見る時、神様はいかばかりありがたい方でしょうか」(1993年10月10日、「還国とサタン圏整備」)
祝福家庭の父母も、子女の教育に対して十分な時間をとることができず、多くの恨(ハン)を抱いていることと思います。そして今でも、天の絶対基準に対して、現実の私は不足な人格であり、投入する時間、教育費も十分でないけれども、「命ある限り子女のために精誠を尽くし、天の期待に応える子女としてみせます」という決意と覚悟を、天の父母様(神様)と真(まこと)の父母様に日々誓いを捧げるべき私たちの立場です。
「原理的に教育するんだよ。神様といかにして、良心と肉身がいかに一体になるか、自己完成された後には相対完成。そういう理想があるから、その基本をつくっていくことは、夫婦が問題だ。父母がいつでも問題であるというんだね。問題は、父母が悪かった場合は、いくら学校が良くても、その子供は成長いたしません」(1986年1月2日、韓国)
以上のように、神様も真の父母様も絶えず不足を感じながら、投入し投入し続けておられるゆえに、私たちも「私は父母であり、先生であり、主人である」という三大主体思想を強く自覚して、子女教育の最終責任は父母である自分の責任であると再決意してまいりましょう。
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次回は、「天使長を創造された神様」をお届けします。