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川瀬カヨ(中)

(光言社『中和新聞』vol.542[2000年8月15日号]「歴史に現れた世界の宗教人たち」より)

 『中和新聞』で連載した「歴史に現れた世界の宗教人たち」を毎週木曜日配信(予定)でお届けします。
 世界の宗教人たちのプロフィールやその生涯、現代に及ぼす影響などについて分かりやすく解説します。(一部、編集部が加筆・修正)

歴史的な恨みを氷解
殉難者慰霊供養に生きる

 昭和397月、信徒会「冨士会」が結成され、天運教は教団として多くの宗教行事を執り行うようになります。天地正教(昭和63年に名称変更)の祭祀の中で最も重要な祭祀の一つである「感謝祭」もこのころから執り行われるようになりました。昭和43年、冨士会の会旗が作られるに至って、天運教は教団として大きく成長していくようになります。

昇天儀式で新たな飛躍

 カヨは天啓と神霊に導かれて信者指導をしていましたが、一方で、より深い信仰生活の在り方を示してくれる真理を真剣に、かつ謙虚に求めていきました。天運教の教祖となってからも、他の宗教を学ぶときは一人の信者として謙虚に学ぶのでした。信者の前にも謙虚でした。「信者が私の先生です」とおさとししたように、信者の言動を自らの成長の糧としました。

 昭和51年の初め、「神前にあるもの、すべて昇天させよ」という天啓を受けました。龍神など、それまで守り導いてくれた守護神の力を借りる必要がなくなり、信仰的に新たな段階へ飛躍することが願われているのだと、カヨは理解しました。

 531日、それまで教団を導いてくれた守護神に感謝の念を込め、十勝の霊峰・剱山(つるぎさん)の麓(ふもと)にそれまでの信仰とかかわる品々を持ち寄り、お焚(た)き上げする「昇天儀式」を行いました。

 昇天儀式の後、カヨは幾度も祭壇を作り変え、最終的に弥勒慈尊像を本尊とする祭壇を築きました。昭和62年、天運教は創立30周年を迎え、1126日に宗教法人として認証されます。天運教の新しい出発です。

 年の改まった昭和63年の初め、「汝ら、名を天地正教と改め、天地に翔(はばた)け」という啓示を受けたのでした。世界はおろか、霊界をも含む天地を救う正しい宗教となれというのです。

 最上段中央に弥勒慈尊像を奉安した三殿四聖の祭壇、「霊妙慈経」と「侍天護国経」の経典、教義も確立されていきました。「霊妙慈経」は日本の国と国民が、天を尊ぶ伝統を重んじ、神様、弥勒様の慈愛をいただいて、隣国や世界に貢献して、弥勒浄土の実現に向かうべきことをうたった経典です。そしてカヨが30余年をかけて到達した「四世代供養」も体系化されていきました。

数千回に及ぶ供養

 弥勒様を本尊に迎え入れた天地正教に、天から大きな祝福が注がれてきました。多くの奇跡や喜びの証しが全国津々浦々に誕生してきたのです。その新しい天運の中で、多くの人々が集うようになり、全国に道場や支部が設立されていきました。

 昇天儀式が行われた剱山の麓には慰霊塔広場があり、その一角に韓国・朝鮮人、中国人殉難者に対して「ひどい犠牲となられて申し訳ありません。霊界の皆さん、この真情を受けとって下さい」との一文が刻まれた慰霊碑が建立されています。

 かつて信者と共に北海道の「糠平(ぬかびら)八十八ヵ所」を巡っているとき、霊界から「糠平湖には、かわいそうな犠牲者がいるので供養してほしい」という声が聞こえてきました。そこで手を合わせて祈ってみると、かつて道路、トンネル、ダムなどの工事に従事して犠牲となった韓国・朝鮮、中国の方々の霊が次々と降りてきて、口々に苛酷な扱いに対する悲しみや苦しみを訴えてきたのです。

 カヨの心は痛みました。このようなひどい仕打ちに、いったいだれが責任を持つのだろうかと。いわれもなく犠牲になられた人たちの霊を解放してあげなければと、心の底から思うのでした。

 天から示されるまま、戦争で亡くなった戦争犠牲者の供養祭、強制的に連行されて犠牲になった韓国・朝鮮人、中国人殉難者の供養祭、原爆で犠牲となった日本人、韓国・朝鮮人、中国人被爆殉難者の供養祭などの国家的、歴史的祭祀に、教団を挙げて取り組みました。

 供養は延べ数千回に及びました。長年の慰霊供養の積み重ねによって、民族と国家の間に横たわる歴史的な恨みを氷解させていきました。

(天地正教教団史『すずらんの祈り』から)

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 次回は、「川瀬カヨ(下)」をお届けします。