2024.11.28 22:00
川瀬カヨ(下)
『中和新聞』で連載した「歴史に現れた世界の宗教人たち」を毎週木曜日配信(予定)でお届けします。
世界の宗教人たちのプロフィールやその生涯、現代に及ぼす影響などについて分かりやすく解説します。(一部、編集部が加筆・修正)
真の神様との出会い
文鮮明師を弥勒の下生と宣言
弘法大師と弥勒下生
平成4年5月10日、カヨは巡教の途中、高野山を訪ねました。身支度を整え、弘法大師の御廟(ごびょう)の前で祈りをささげ、これまでの導きに感謝しながらさまざまなお伺いを立てました。
いくつかの問答が終わった後のことです。カヨにとって感動的な出来事に遭遇したのです。弘法大師が目の前に現れ、「弥勒様は下生(げしょう)している」、「下生しておられる弥勒様とは文鮮明(ムン・ソンミョン)師のことである」と、切迫した表情で語ってこられたのです。しかも、弘法大師が文鮮明師の左肩に寄り添っているのをはっきりと見たのでした。
カヨは日本を代表する弥勒信仰者である弘法大師の言葉に、自らに課せられた責任の重大さを痛感し、「弥勒下生を証す宣言」を行うことを決断するのでした。
統一原理との出会い
カヨが文鮮明師と統一原理を最初に知ったのは、ずっと以前にさかのぼります。それはカヨが53歳になった昭和39年の夏のことでした。帯広市に開拓伝道に来ていた統一教会の若き女性伝道師との出会いがあったのです。
アパートの一室で、小さな黒板を前に神様のみ言葉を情熱を傾けて語る伝道師の姿、神様のみ前に一身をささげ世界のために奉仕しようとする純粋な姿、その青年の姿に、年齢の違いを超え宗教的立場の違いを超えて、カヨは大きな感動を受け心を動かされるのでした。
そして、伝道師によって伝えられた「統一原理」の内容の奥深さには、ただただ驚嘆するばかりだったのです。
カヨはそれまで信者に先祖供養を指導しながら、悪因縁の解決に努めていました。その中で、人間に不幸をもたらす悪因縁の霊人たちを慰霊し供養することはできても、悪因縁の根っこが解決されない限り、根本的な解決はあり得ないと理解していました。
統一原理の学びを深めていくことによって、こうした疑問が見事に解決されていったのです。
カヨは、迫害を幾度も体験していました。しかし、世界的な迫害の中で人類の救いの先頭に立って血と汗と涙の道を歩まれる文師の姿を目(ま)の当たりにした時、自分自身の体験と織り重ね比較してみて、文師の前にただただ敬服するのみでした。そして、その文師を導いてこられた神様の親としての心情を悟らされたのでした。
平成4年10月2日、カヨは本山帯広道場において、下生した弥勒様を文鮮明師として信奉し弥勒浄土実現に邁進(まいしん)していくことを広く宣言したのでした。
至福のとき
平成5年11月、カヨは信者とともに韓国済州島で行われた統一教会の修練会に参加しました。
この時文師はカヨを朝食会と夕食会に招かれたのです。親しく交わされる会話は父と娘のような温かい交流となり、カヨにとって人生で最も感謝に満ちた至福の時が与えられたのでした。
カヨの生涯は、一時として平坦な時はなく、激しい霊的な闘いの連続でした。わが身を顧みることなく、天の命ずるまま黙々と歩み続け、努力と感謝をささげてきました。苦労すればするほど、カヨは文師の心情をより深く察していくことができたのです。
文師との出会いにより、カヨは命の続くかぎり神様のみ旨を果たすために全力を投入していくことを深く決意したのでした。
帰国して間もなく、カヨは次のような言葉を残しています。
「お父様(文鮮明師)のお話は一言一句、意味が深い。本当にありがたい。(お父様に対して)疑ったり、真心をささげない人は自分が損をするんです」
年が改まった1月10日早朝、カヨは脳梗塞(こうそく)のために倒れました。25日間に及ぶ闘病の末、平成6年2月4日、ついに霊界に帰還したのでした。享年82でした。
(天地正教教団史『すずらんの祈り』から)
---
「歴史に現れた世界の宗教人たち」は、今回が最終回です。ご愛読ありがとうございました。