2024.10.24 22:00
アッシジの聖フランシスコ(下)
『中和新聞』で連載した「歴史に現れた世界の宗教人たち」を毎週木曜日配信(予定)でお届けします。
世界の宗教人たちのプロフィールやその生涯、現代に及ぼす影響などについて分かりやすく解説します。(一部、編集部が加筆・修正)
神の家を建てる建築家
40日断食中に聖痕受ける
フランシスコは何とかして教会の修理をしたいと思い、街角や広場で歌を歌ってお金の代わりに石を寄付してくれるようにお願いしました。最初は笑っていた町の人たちも、彼の熱心さに打たれ、石やしっくいや丸太を寄付してくれるようになりました。
フランシスコは大工仕事については何も知りませんでしたが、人に聞いたり、自分で工夫したりして、教会の修理を進めていきました。食事はお椀(わん)を持って一軒一軒の家を訪ね、残り物のスープや固くなったパンをもらって、石の上に腰掛けて食べました。このようにしてサンダミアノ教会の修理をすることができました。
町の人々に説教
次はサン・ピエトロ教会、そしてポルチウンクラという森の中の小さな教会も建て直しました。この三つの教会は今もアッシジの町に残っており、大切にされています。フランシスコは神様の家を建てる建築家になったのでした。
ポルチウンクラの教会でミサにあずかっていた時、フランシスコは「財布の中に金、銀または銭を入れて行くな。旅行のための袋も、2枚の下着も、くつも、つえも持って行くな」(マタ10章9~10節)という神の声を聞きました。
神の願いは人の心に神の家を建てることだと気づいたのです。フランシスコは平信徒でしたが、グイド司教に説教する許可をもらいました。
町の人々に説教を始めた彼のもとに、間もなく一緒に行動したいと申し出る2人の人が出てきました。金持ちの青年ベルナルドとピエトロ・カタニ神父でした。1週間がたって、エジディオという青年も加わりました。4番目にやってきたのはシルベストロ神父でした。
彼らは自分たちのことを「小さき兄弟たち」と呼んでいました。兄弟たちの毎日は、起きるとまず朝の祈りをし、近くの教会でミサを挙げます。その後ハンセン病の人の所に行ったり、町で聖書の言葉を分かりやすく話したりしました。それから食べ物を得るために兄弟の中のだれかが施しを求めて一軒一軒回りました。
フランシスコは生きているものはどんな小さなものでも大切にしました。自然の世界に神様の愛を感じて感動し、「兄弟の風」「姉妹の水」「兄弟の火」と呼んで大切にしていました。
兄弟の数が12人になった時、会則をつくり、ローマ教皇インノケンティウス3世のもとに許可を得に行きました。1212年には兄弟の輪に、クララという妹(修道女)が加わりました。
フランシスコはキリストの福音をあらゆる人々に宣(の)べ伝えようと思いました。1219年には十字軍が包囲しているエジプトのダミエッタまで行き、イスラムのスルタン、メレク・アル=カーミルに説教しました。
イエスと同じ苦しみ
1224年の夏、フランシスコはアッシジの北60キロの所にそびえるアルベルナ山に向かっていました。死期が近いことを感じた彼は、40日の断食祈祷をしたいと思ったのです。
祈祷の毎日を送っていたある朝、突然目の前で光が爆発し、彼の体の中を射し通しました。 十字架にかけられたキリストの姿が見え、大きな喜びとともに激しい痛みを感じました。しばらくして気がつくと、両手、両足に釘が打ち込まれ血の流れた跡があるのを見つけました。脇腹にも槍(やり)で突かれたような跡がありました。いわゆる聖痕です。9月14日のことでした。
9月30日に断食が終わり、フランシスコはアルベルナ山を下りて、アッシジに向かい、その後ポルチウンクラに行きました。もう目はほとんど見えなくなっていました。
1226年10月3日、フランシスコは自らが修築した小さな森の教会の庭に横たわり、静かに神のみもとへ帰っていきました。
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次回は、「トマス・アクィナス(上)」をお届けします。