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アッシジの聖フランシスコ(上)

(光言社『中和新聞』vol.537[2000年6月1日号]「歴史に現れた世界の宗教人たち」より)

 『中和新聞』で連載した「歴史に現れた世界の宗教人たち」を毎週木曜日配信(予定)でお届けします。
 世界の宗教人たちのプロフィールやその生涯、現代に及ぼす影響などについて分かりやすく解説します。(一部、編集部が加筆・修正)

人々のあざけりと冷たい目
ハンセン病者にキリストを見る

 本名はジョバンニ・フランシスコ・ベルナルドーネ、通称「アッシジの聖フランシスコ」と呼ばれています。

▲アッシジの聖フランシスコ(ウィキペディアより)

 フランシスコは徹頭徹尾、キリストの教えに従い、キリストの生涯にならって、それを実行したいと思っていました。「闇に光を 悲しみのあるところに喜びを 慰められるよりは慰めることを 理解されるよりは理解することを 愛されるよりは愛することを」という彼の「平和を求める祈り」は広く知られています。

騎士を夢みる

 フランシスコは1182年、イタリアのアッシジで、裕福な織物商人ピエトロ・ベルナルドーネの息子として生まれました。

 少年時代の彼は騎士になることを夢みていました。また自然が大好きで、野や山で花や空の鳥と共に遊びました。成長すると、歌を歌うのも好きになり、フランスからやってきた旅回りの歌手のまねをしたりしました。

 1202年、アッシジと隣町ペルージアとの間に戦争が始まりました。町を行進する兵士の中にフランシスコの姿がありました。彼はこれこそ自分が夢に見た姿だと思いました。しかしこの戦争でフランシスコは捕虜になり、1年後に戻ってきたのです。

 その後フランシスコは病気になりました。絶えず熱が出て体がだるく、咳が出ました。ようやく快復し、大好きだった野の花や空の鳥を見に行きましたが、なぜか心の虚しさを感じました。

 1204年、再び戦争が始まりました。集まった兵士の中で、金ぴかのよろいかぶとで武装したフランシスコはひときわ目立っていました。

 船上へ向かう軍隊はスポレートで野営しました。そこでフランシスコは不思議な声を聞いたのです。

神の声を聞く

 「フランシスコ、おまえは主人に仕えるのと家来に仕えるのと、どちらがいいと思うのか」「もちろん、主人に仕えることです」「ではどうして主人にではなく、家来に従おうとするのか」…「主よ、私に何をお望みですか」「アッシジに帰りなさい。そこで何をしたらよいのか教えよう」

 フランシスコはこのままプーリアへ進むか、アッシジに帰るか迷いました。勇気ある騎士と言われるか、臆病者と言われるか…。彼は夢を信じてアッシジに帰ることにしました。そこには人々のあざけりと冷たい目が待っていました。

 ある日、フランシスコは街角でハンセン病者と会いました。思わず道を引き返そうとした彼は、ハンセン病者の中に、町中の人から悪口を言われ、一人ぼっちで歩いている自分自身の姿を見ました。そしてまた人々から見捨てられ、血の汗を流しておられるイエス・キリストを見たように思ったのです。

 次の日、フランシスコは山の中にあるハンセン病院を訪ね、患者の手を握り、膿(うみ)の出ている傷を洗い、包帯をしてあげました。こうしてフランシスコは、自分の仕えるべき主人がだれであるか分かったのです。

「私の家を建て直しなさい」

 このような彼の行動は父の怒りを買い、母を心配させました。

 1207年、フランシスコはアッシジの町を背にして、ウンブリアの平原に向かって歩いていました。両親の反対を受けてまで自分の見いだした道を進むことに迷いを感じていたのです。

 ちょうどその時、サン・ダミアノ教会が目に入りました。「神様、どうしたらいいのでしょう」「フランシスコ、見る通り崩れかけている私の家を建て直しなさい」。フランシスコは父の店から織物を持ち出して隣町のフォリニョまで行き、織物だけではなく馬まで売ってしまいました。

 それがさらに父の怒りを買ってしまいました。フランシスコはお金だけではなく、着ていた服も父に返して親子の絆(きずな)を切り、サン・ダミアノ教会で暮らすようになりました。

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 次回は、「アッシジの聖フランシスコ(下)」をお届けします。