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ほぼ5分で読める統一運動 22
共産世界とイスラム教圏

稲森 一郎

 1965年625日、文鮮明(ムン・ソンミョン)師は、アイゼンハワー米国元大統領と会見しました。
 その時、アイゼンハワー元大統領に文師が語った米国の主要な課題が、国際共産主義との闘いに関するものでした。

 文鮮明師は、「あなたは韓国の戦争を休戦させ、共産主義と戦うことを後退させましたが、もし民主世界が共産世界を打って勝ったとしても、共産世界はイスラム教圏と手を結びます。今も手を取り合っています。共産世界は宗教の怨讐(おんしゅう)であるので、そのような時が来る前にあなたがすべきことは、早急に彼らを糾合する世界的組織をつくることです。そうでなければ米国が大変なことになります」(『真の父母様の生涯路程④』336ページ)という提言をアイゼンハワー元大統領に示しました。

 遅かれ早かれ、共産主義はイスラム教圏と手を結ぶので、そうならないうちに諸宗教を糾合する世界的組織をつくり、その中にイスラム教圏も招き入れるべきである、とアドバイスされたのです。

 イスラム勢力が共産主義に加担しないように、アメリカがイスラム教圏を含む宗教の世界的組織をつくるべきだ、というのが文師の提案の骨子でした。
 これが、文鮮明師の統一運動の核心となる視点の一つです。

 しかしアメリカがそうしなかったために、文師の予想どおり、イスラム教圏とソ連・中国などはお互いに接近し、軍事協力を交わしながら、反米路線を突っ走る結果となりました。
 そのような経緯は、現代の歴史が示す数々の証拠によって明らかです。

 キリスト教とイスラム教が、いかに相性が悪かったとしても、団結しなければ、イスラム教は共産主義に利用され、浸食されてしまうということです。

 共産主義は宗教の怨讐であることを考えれば、イスラム教圏が神を否定する共産主義に、心底同調することは不可能です。
 だからこそ、キリスト教とイスラム教、その他の宗教は、お互いの違いを超えて、結束を図らなければなりません。

 「許せ、愛せ、団結せよ」という文師の言葉は、何よりも世界の宗教同士において実践されるべき精神であると言わざるを得ません。なぜなら宗教は相違点よりも共通点の方が多いからです。

 もう一つ、忘れてならないのは、仏教国のチベットを乗っ取った中国の狡猾(こうかつ)な事例です。

 文師は、「私がアイゼンハワー大統領に会った時、ダライ・ラマ事件のことを話しました。1959年、チベットヘの中共の侵攻によって、ダライ・ラマがインドの国境を越えた世界的な事件がありました。その時は、天が民主世界において、この地を中心として宗教を糾合できる良い機会だったのですが、その機会を逃してしまいました。その当時、十億、あるいは数十億ドルぐらいなら、米国にとってはわずかのお金でしかなかったのです。その事件を中心として、宗教の怨讐は共産党だというテーマを掲げて世界的な宗教指導者を一つにまとめていたら、今日、民主世界はこのように破綻(はたん)しませんでした。良い機会を逃してしまったのです」(「同、336337ページ」)と回顧しました。

 文鮮明師は、宗教界が世界的団結を図らなければ、民主世界は共産主義にやられてしまうという天の警告を心に銘記しなければならないと語っています。

 世界的な宗教の団結が共産主義の拡張を防ぐ方法であるというわけです。
 このような宗教の団結がなされずに、宗教同士が内輪もめに終始すれば、一体、共産主義の脅威からどうやって世界の国々を守るというのでしょうか。
 深刻な問題です。