2024.10.03 17:00
ダンベリー精神 12
このシリーズでは、真のお父様のダンベリー連邦刑務所(米国コネチカット州)収監(1984年7月20日)から40年を迎えて、「ダンベリー精神」とは何だったのかを振り返ります。(一部、編集部が加筆・修正)
全米の30万の聖職者に「獄中からの手紙」を送る
真のお父様は、13カ月の獄中生活の中で、全米30万人の聖職者に「獄中からの手紙」と共に、「統一原理」のビデオテープと、説教集『世界への神の警告』を送られました。
これはお父様に対する理解を深めるとともに、キリスト教界に大きな反響を呼びました。
1985年8月20日、出監された真のお父様を、全米60以上の宗教組織から集まった2000人以上の聖職者が「神と自由のバンケット」を開いて歓迎しました。
あいさつに立ったバプテスト教会のミルトン・リード牧師は、「世界には三つの恐怖があります。それは、神のいない共産主義、キリストのいない資本主義、現世中心の人道主義です。文(ムン)師はこの三つの悪と闘うために選ばれました。それは文師が主張する“神主義─ゴッディズム”を武器とした闘いです。文師と統一教会は、この世でイエス様の願いを果たし、キリスト教を“神主義”のもとに一つにしようとされています」と語って、お父様の業績を称えました。
バンケットの席上で真のお父様は、「神のみ旨」と題して講演されました。このメッセージは、ニューヨーク・タイムズなどで全文が掲載され、全米に大きな反響を呼びました。
以下、そのメッセージの要旨を紹介します。
「神と自由のバンケット」でのメッセージ(要旨)
神のみ旨
牢獄から出てまいりました私を、アメリカ合衆国の各地を代表し、また多くの宗派を代表して、このように盛大に歓迎していただきましたことを心から感謝するとともに、恐縮する次第です。
また私がダンベリーにいる間に、私のために祈ってくださり、多くの手紙を下さいましたことに感謝申し上げます。私は決してこのことを忘れないでしょう。
体の細胞一つ一つにおいて、神を体験してきました
私は、人生において6回の投獄を経験しました。過去もそうでしたが、今回の牢獄においても、神との感動的な体験がありました。
私がそこにいたのは、私の個人的行為や過失によるものではありませんでしたが、私を迫害した人々を恨んだり憎んだりする思いを持ったり、また私の無罪を申し立てることに牢獄での時間を費やしたのでもありません。
私は、世界に対する神のみ旨を成就するためには、アメリカが何をなさなければならないかということを理解するため、祈りと瞑想(めいそう)に時間をささげてきたのです。
私の宣教生活と生涯の根底にある決意は、大きく長く続いた神の苦しみを取り去ることです。
世の中が神の苦しみの心情に対して無知なるが故に、私の仕事と統一教会の仕事は、長い間誤解され、迫害されてきました。
しかし、神のみ前に私の使命は切迫していることを知っていたので、これらの迫害は、私にとって大したものではありませんでした。
生涯を通して、私は深く神と交わってきました。数えきれない霊的体験を通して、神の心情と神の愛を知るようになったのです。私はいつもこのことを証(あかし)してきました。
私にとって神は、想像の圏内に存在するぼんやりとした神ではありません。神は生きておられ、私は心情において神と直接に関係してきました。私は体の細胞一つ一つにおいて、神を体験してきたのです。
神は、狭い考えの中には住むことができません
親愛なる牧師の皆さま、私たちの仕事は、神のみ旨を学び、それを実行することです。
私たちは、神のみ手の中にある男性と女性にならなければなりません。私たちは、喜んで神の召命に応じられる者にならなければなりません。私たちは決して、神に、個人的救いと自分の天国だけを求めてはなりません。
メシヤの召命に応じ、メシヤとメシヤの大義のために生き、かつ死ぬことは、真のクリスチャンとしての私たちの特権ではないでしょうか。
私たちの宗教、宗派は、全能なる神のみ旨のために存在しなければならないのであり、狭い考えを伝播(でんぱ)するために存在するのではありません。
神は、狭い考えの中には住むことができません。神は宗派心の強くないかたなのです。神は宗派主義を超えて遠くを見られます。神は排他的教義の中に閉じ込められてもいません。というよりは、神は私たちすべての親であり、神の無限の愛は、民族や皮膚の色を区別しません。神は民族主義や文化的伝統の壁を認めません。
神は今日、全人類を抱き抱えるために精いっぱい尽くしておられるのです。
投獄の舞台裏で神の摂理が働いているのです
親愛なる牧師の皆さま、宗教の自由の天国であるアメリカにおいて、レバレンド・ムーンの入獄の結果として、全国的な宗教の自由運動が燃え上がったのは、単なる巡り合わせとお考えでしょうか。
実はこれは偶然ではなく、舞台裏で神の摂理が働いているのです。自由世界の旗手として、共産主義の現実的脅威をあざ笑ってきたアメリカが、現在の脅威の深刻さに気付き始めていることを、単なる偶然と呼べるでしょうか。
アメリカは、神の霊と愛に基づいて建国された国家です。特に第2次世界大戦後は、世界の救いと自由を愛する人々の団結のために、神はアメリカを国家群のリーダーとして育成されました。
内的には、神はこの国を再臨のメシヤのために準備され、世界に責任を持つ国として準備されていました。
残念なことに、この国は歴史的な神のみ旨を無視し続けています。アメリカは、自国だけが世界であるかのように偽りの慰めを楽しむことを好んで、世界的責任からはどんどん退いています。
この態度はもちろん、アメリカ内外の問題を増大させるのみです。深刻な人種問題、社会的、倫理的、そして道徳的価値の低下、宗教生活とキリスト教信仰の衰微、そして唯物主義と共産主義の台頭は、無視したからといって消えるものではないでしょう。
再臨の時代を生きる私たちは、団結しなければなりません
神は、これらの問題の故にアメリカに来るようにと私を呼ばれました。キリスト教は苦悶(くもん)して悔い改め、そして団結しなければなりません。
私たち牧師も自分を振り返って悔い改めなければなりません。
私たちは、イエス様が地上に来られて、世人に悔い改めるように言われた時代を再び生きているのです。その呼び声が今、繰り返されています。
神が私たちに授けてくださった世界的使命を、私たちは成就しなければなりません。
言うまでもなく、アメリカは変わらなければなりません。新しい宗教改革が起こらなければならないのです。
キリスト教は宗派主義を超えて、より高い次元に上がらなければなりません。私たちはキリスト教の使命を悟り、深刻に考えて、世界的スケールの超教派的、文化的革命をリードしなければならないのです。
今晩のこの再会を記念して、私たちはキリスト教本来の道をたどる決意をしなければならないと思います。私たちは、再臨のメシヤを迎え、神のみ旨を成就する手伝いができるように、その道を前進しなければなりません。
神のあふれんばかりの祝福が、皆さまと皆さまがたの家族と、アメリカの全教会にありますように。
(『ファミリー』1985年9月号より)