2024.09.26 17:00
ダンベリー精神 11
このシリーズでは、真のお父様のダンベリー連邦刑務所(米国コネチカット州)収監(1984年7月20日)から40年を迎えて、「ダンベリー精神」とは何だったのかを振り返ります。(一部、編集部が加筆・修正)
「全ての囚人は神様から任された自分の子供である」
真のお父様は約1年に及ぶ獄中生活の中で、その行いを通して無言の伝道をされ、看守や囚人たちの尊敬を勝ち取っていかれました。
今回は、お父様のそんなお姿に感銘を受けて、お父様を慕うようになった囚人イグナチオを紹介します。
『ファミリー』2005年2月号と『祝福家庭』79号に掲載された柴沼邦彦・天一国特別巡回師の講話の要旨です。
囚人イグナチオを感動させたお父様の愛と精誠
真のお父様は、ダンベリーの刑務所に入っている約200人の囚人たちに対して、一人一人の名前を覚えられ、その人たちが何を考え、どのような生活をしているのか、ということを詳細に研究されました。
例えば、あの囚人には誰も面会に来る人がいないとか、あの人はこのように寂しい人だから、何かその人にできることはないだろうか、といった具合です。
そのように考えられ、月に70ドルというお金(刑務所で使える額)で、そこにある売店で買えるものは全て買い求めて、囚人たちに与える生活をしていかれたのです。
模範的な囚人として生活されるとともに、真の父母として、どのような環境にあったとしても、そこにいる人たちに対し、いかにして神様のもとに導き、真の愛で行動するかという思いで過ごしていかれました。
囚人たちは当初、お父様に対して、うわさに聞いていた恐ろしい宗教の教祖だと思って、「へーイ、ムーン」と呼んでいたのですが、やがて「ファーザー、ムーン」と呼ぶようになりました。それもわずか4カ月という短い期間で、囚人たちの心が転換されていったのです。
お父様が、「この刑務所にいる全ての囚人は、神様から任された自分の子供である」と考えて接していかれたが故に、そのような心の変化をもたらすことができたのだと思います。
またお父様は、与えられた仕事以外の時間は、ずっとみ言を読んでおられました。ダンベリーで訓読会が始まったのです。
ある時、イグナチオという囚人が、お父様がみ言を訓読しておられるところを通りかかりました。彼は、程度の低いポルノ雑誌を愛読している人物でした。
彼はお父様に「また聖書なんか読んでいるのか」と言ったかと思うと、「私の聖書はこれだ」と言って、『ハスラーマガジン』というポルノ雑誌を投げつけたのです。ところがお父様は、何事もなかったように訓読をお続けになったそうです。
その後『ハスラーマガジン』に、お父様に対する批判記事が載りました。
「レバレンド・ムーンは、米国の若者たちを洗脳し、彼らを自分のために働かせている、けしからん人物である」といった論調でした。
その記事を読んだイグナチオは非常に憤慨しました。そして、抗議の手紙を書いたのです。
その内容を紹介します。
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『ハスラーマガジン』への抗議の手紙
1984年12月12日 ザスティン・イグナチオ
私は『ハスラーマガジン』の愛読者であるとともに、ダンベリー・プリズンキャンプの囚人である。私の友なる囚人のレバレンド・ムーンについての、あなたの記事はあまりにもひどく、かえって、私を笑わせたほどである。
私にとって、また、多くの友なる囚人たちにとっても、その記事が、レバレンド・ムーンを悪く書くつもりであったとしたら、一マイルも的を外れているからである。
ミスター・ターナー(記事を書いた人)のちっぽけな主張と、ジム・フォーレスによる、明らかに薄っぺらでヒステリックな報告以外の何ものでもない。
レバレンド・ムーンは、われわれ米国人が、われわれの子孫たちに伝えたいと希望する、全ての事柄のために闘いを挑んでいる。
それは、婚前交渉やドラッグに反対し、反共であり、妻への愛、家庭への献身である。
私はレバレンド・ムーンと並んでキッチンで働いている。そして私は、彼が、彼に要求された義務、すなわちトイレを洗うことや、床の雑巾がけを含む全ての仕事を、笑顔で、一言の不平も言わずに遂行するのを見てきたのだ。
ここにいる他の囚人たちについて、これと同じことが言えたとしたらどんなにいいかと思うのだが。彼は決して偉ぶることをしないで、われわれの仲間の一人として生活している。
私の面会日と、レバレンド・ムーンの面会日が同じなので、私は、彼が彼の家族に会うのを見て、レバレンド・ムーンが献身的な夫であり、愛し愛される父親であることを知った。
もし米国にレバレンド・ムーンのような人がもっといたならば、恐らくこの国は、今のような悲しい姿になっていなかったであろうと思うのである。
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もし、イグナチオがポルノ雑誌をお父様に投げつけた時に、お父様が怒ったり、あるいはたしなめたりされたとしたら、彼は果たしてこのような手紙を書いたでしょうか。
お父様は、イグナチオ自身も気付いていない、彼の心の奥底にある本心を見抜いて、愛していかれたのだと思います。だからこそ、彼にそのような心の変化が起こったのだと思うのです。
このエピソードは私たちに、常に神様を中心として物事を捉え、真の愛をもって人間の本心を見つめながら生活することの大切さを教えてくれています。