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ダンベリー精神 10

 このシリーズでは、真のお父様のダンベリー連邦刑務所(米国コネチカット州)収監(1984年7月20日)から40年を迎えて、「ダンベリー精神」とは何だったのかを振り返ります。(一部、編集部が加筆・修正)

早朝3時から海老のように背中を曲げて祈祷された

 真のお父様は約1年に及ぶ獄中生活の中で、アメリカの復興、信教の自由のために祈り続けられました。
 また、一緒に収監されている囚人たちにも深い関心を寄せ、愛を注いでいかれました。

 今回は、獄中でのお父様の生活のご様子を、2人の側近の証言を通して紹介します。

◆金孝律氏(777双)の証言
世界の人々に侍る思いで囚人に侍る
 お父様が収監されて、約3カ月がたちました。
 私は今、お父様の面会希望者の調整を担当しています。火曜と水曜を除く週5日間の午前830分から午後330分までが面会時間で、この時間、私はお父様に侍(はべ)っています。

 面会室はレストランのようなつくりで、椅子やテーブルがところどころに備えつけられています。そこでお父様が面会者と会っておられる間、私は同席することもあれば、離れたところで待機することもあります。
 自然と、他の囚人の面会者とも顔見知りになります。この人たちは、お父様が常に接していかなければならない人なので、私は親交を深めようと努力しています。
 お父様が各囚人の家族のために、一冊ずつ、『原理講論』にサインをしてくださいましたので、交流が深まった家族に、その『原理講論』や、統一原理のビデオテープを渡しています。

 囚人たちは、それぞれ各自の仕事分担を持っています。お父様の仕事は、食堂のテーブルを整え、塩とこしょうがなくなっていないかを確かめたり、ナプキンを出したりすることです。
 お父様は、実に小さなことまで細心の注意を払われます。テーブルはいつもきれいにされますし、担当の仕事に関しては、全て正確で完璧です。また常に時間どおりですし、一生懸命に仕事をされ、自ら模範を示されます。

 お父様は「テーブルの上を整頓することによって、囚人たちに侍ると同時に、私たち教会員や全世界の人々に侍る思いでいる」とおっしゃいました。
 ここの囚人たちは、人類の最低レベルにある人々を代表しているのです。その囚人たちに侍ることが、全人類に侍る条件になるのです。それが、お父様のご決意なのです。

 また、「信仰生活において、祈祷は当然しなければならないが、同時に一生懸命に実践すべきである。私は収監中だから、祈祷に多くの時間を充てるつもりである」ともおっしゃいました。
 教会員が責任分担を果たすために、もっと多くの時間を活用できるように、お父様はできるだけ長い時間、祈祷しようとされています。

 刑務所当局や囚人たちは、お父様にお会いする前は、お父様に対して、恐らく24時間座り、瞑想(めいそう)にふけっているだろうといったイメージを描いていたのですが、実際お会いして接してみると、違っていることを知りました。
 お父様はスポーツマンで、ビリヤードや卓球をよくされますし、普通に会話もされ、そしてよくお笑いになります。それで、今では皆、お父様を尊敬しています。

 キッチンのコック長は、お父様が好きになり、いろいろな面でお父様を支持しています。
 彼は30代半ばで独身ですが、「自分では花嫁を選ぶ自信がありません。私は、レバレンド・ムーンが私の花嫁を選んでくれるまで待たなければなければなりません」と言っています。
 もちろん彼はまだ「原理」を知らないのですが、お父様を完全に信頼しているのです。

 お父様は日曜日の早朝にチャペルで祈られ、敬礼式を行っておられます。その場に、かなりの数の囚人が参加したいと申し出ています。

 今、お父様はとても健康そうです。髪の毛をずっと染めていらっしゃらないので、白髪が目立ちますが、お元気でいらっしゃいます。

 また、少し痩せていらっしゃいます。というのも、囚人の一人がお父様に「減量のお手伝いをしましょう」と申し出たのです。それでお父様は、一日2マイルほどのジョギングを始められました。若者のようには走れませんが、早歩きをされています。

 私たちは、歴史に残るこの時において、私たちの責任とお父様の苦難を忘れてはなりません。お父様が私たちの勝利のために祈祷してくださっているこの時、私たちも最善を尽くして責任を果たしていきましょう。
(『TODAY'S WORLD』より)

◆朴普熙氏(36家庭)の証言
実生活と日常の行動がそのまま伝道であった
 1984720日に収監された文鮮明(ムン・ソンミョン)先生は、翌85819日深夜に自由の身になられた。正確には396日間であり、ちょうど13カ月の獄苦を受けたことになる。

 実刑宣告は18カ月であった。では、どうして13カ月で出監されたのか? 文先生はここでも万事において模範になられた。収容所の中で最高齢の64歳の身でありながら、この世の荒波にもまれて入獄してきた若い囚人たちの模範となったのである。
 そして模範囚の公認を受け、法規の定めによって、刑期が3分の1短縮される特権を得られたのである。

 文先生は言われた。
 「私は北朝鮮の地上の地獄のような監獄でも模範賞状を受けた。アメリカの刑務所は北朝鮮の獄苦に比べれば楽園である。私がここで模範にならなければ、話にもならない」

 囚人たちはまず、この謙虚な文先生の人柄に驚いた。地上を騒がす大物中の大物が入って来たので、どんな人物か見てみようと思っていた彼らは、その人格に接してすぐに全員が兜を脱いだ。
 刑務所では伝道や説教はできない決まりになっていた。けれども、その必要はなかった。実生活と日常の行動がそのまま伝道なのである。

 囚人たちは、先生に割り当てられた労働を、自ら志願して「自分たちがやります」と申し出たが、先生はそれを絶対に許されなかった。与えられた仕事は必ず自身でされた。
 その仕事は、食事を準備する仕事であり、食事の後に皿洗いをする仕事であり、台所と食堂を掃除する仕事である。そしてまた、便所を掃除する仕事である。これらすべての責任分担を一度もしかめっ面をすることもなく、完璧にやり遂げられた。

 「今この仕事をすることを私は神様に感謝している。私がご飯を作って囚人たちに食べさせるとき、私は神の子女たちを食べさせていると考え、私が汚い便所や台所を掃除するとき、私はこのアメリカを拭っていると考える。ああ、感謝だ。天は私に命じて私の民を食べさせ、私の家とこのアメリカを掃除させておられるのだ」

▲お父様が使われた二段ベッドとキャビネット

 夜は大抵、12時に就寝される。早朝3時には起床して、ベッドで背中を海老のように曲げ、顔をベッドにつけて祈祷に没頭される。そして5時になると台所へ出て、囚人たちの朝食の準備をされた。
 あるとき、刑務所の専属牧師であるグラハム牧師が、「主日(日曜日)にはあなたの教会でも礼拝を行うでしょうから、その時は私の牧師事務室と祈祷室を使用してください。どの時間がよろしいでしょうか?」と言ってきた。
 そこで先生はすぐに、「午前3時はいかがでしょうか?」と言われた。グラハム牧師が驚いて、「そんな時間に何をされるのですか?」と尋ねると、

 「はい、われわれは午前3時に祈祷します。そして5時に礼拝をします。その時間には、アメリカでは祈祷する人が多くないので、神様は私の祈祷を必ず聞いてくださるのではないでしょうか?」
 先生はそう言って、微笑まれた。

 グラハム牧師はいたく感心し、「本物の宗教指導者を見た」といった面持ちで、「もちろんですとも。思いのままにお使いください」と答えた。

 それ以来、先生は、日曜日になるとチャペル事務室に行かれた。そこでもやはり床にひざまずいて、海老のように背中を曲げた姿勢で祈祷された。そして5時には敬礼式をされた。

 いくらもしないうちに、この習慣を他の囚人たちが知るようになった。彼らは自分たちも敬礼式に参席していいかと尋ねた。そして、彼らは代わる代わる参加し、見よう見まねで先生と一緒に敬礼をして、先生の涙の祈祷を聞くことを何よりの栄光と感じた。
 このようにして、獄中の統一教会は形成されたのである。

 面会時間になると、ご家族や教会の幹部たちが看守の机の所に行って身分証明書を出し、先生の名前を告げる。すぐに拡声器で、「レバレンド・ムーン、面会があります」と放送がある。

 先生が面会室に来られると、面会室の人々は事前協議でもしたかのように粛然となって敬意を表す。他の面会者たちもしばらく会話を止めて、先生のほうを見つめる。見守っている看守は、ある時は起立までしながら、監視者の立場ではなく保護者の立場に立つ。
 先生は家族が立っている所へ来て、令夫人と子女様がたを抱き締められ、幹部たちとも握手され、上座に座られる。こうして、その日の公務が始まるのである。
(朴普熙著『証言(下巻)』より)