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小説・お父さんのまなざし

徳永 誠

 父と娘の愛と成長の物語。
 誰もが幸せに生きていきたい…。だから人は誰かのために生きようとします。

38話「祝福の話を聞かせて」

 秋の深まりが誰にでも感じられる頃になると、私とカオリの結婚記念日がやって来る。

 わが家は家族の誕生日と結婚記念日、そしてカオリの命日は親子そろって必ず“祝う”。マストの家庭内行事である。

 命日を祝う、などと言えば、常識的な感覚からは程遠く、大いに違和感を覚えることだろう。

 しかし家庭連合の教えに従えば、祝福を受けた者、すなわち祝福家庭の死は「聖和」と呼ばれ、第二の誕生と位置付けられるのだ。つまり、死は終わりを意味するものではなく、新たな始まりとされているのである。

 第一の誕生は、胎内において生命線であったへその緒を切って母親の子宮から出てくることである。そして空気を呼吸しながら自らの力で生きていく。

 生理学的にいえば、呼吸とは空気中から酸素を取り入れ、細胞の代謝によって生じた二酸化炭素を排出する、ガス交換を行いながら肉体の生命を維持することだ。

 第二の誕生は、呼吸が止まることによって霊人体が肉身から離脱し、永遠の世界である霊界に旅立つことである。そして霊界の天国では愛を呼吸しながら生きていく。愛とは神を中心として生きることであり、他者のために生きることである。

 と、家庭連合の信仰を持つ者たちは信じ、そのような信念を持って生きている。

 「聖和」とは、聖なるものと和合することなのだと私は解釈し、一般的に「死」と表されている現象は、本質的には神のもとに帰る道のことを指しているのだと理解している。

 だから本来、死は悲しみではなく、肉身と地上の制限から解放され、時空を超越して自由に生きられる喜びの世界に移動することなのだと捉えられるのである。

 家庭連合ではこれを「帰歓(きかん)」「聖和」と呼び、葬儀においても、一般的にお通夜と呼ばれる儀式を帰歓式、告別式に相当するものを聖和式と称して行われる。

 その日は、ナオミも私も仕事の都合で予定外の遅い帰宅となった。
 ナオミがスーパーで買ってきてくれた総菜をおかずに、二人は夕食のテーブルで向き合いながら、互いの一日の歩みを振り返り報告し合った。

 食後のコーヒーを淹(い)れるのは私の役目だ。豆を挽(ひ)き、ドリップポットでお湯をゆっくりと注ぐ。

 「ナオミ、今日のコーヒーの味はどうだい?」

 ナオミはコーヒーを味わいながら、右手の人差し指と親指で輪を作って残りの三本の指を立てた。

 ナオミは紅茶派だが、夕食の後はミルクたっぷりめのコーヒーで私に付き合う。

 「お父さん、もうすぐお父さんとお母さんの祝福結婚記念日だね」

 「うれしいねえ。よく覚えてくれているねえ」

 子が親の結婚記念日を記憶し、祝う気持ちを持ってくれることほどうれしいことはない。まさに祝福された気持ちになる。

 子や孫たちにその日を祝ってもらえる人生ほど幸せなことはないのだろう、と思う。

 「ねえ、お父さん、今年の祝福記念日のお祝いにはチカを招待してもいいかなあ」

 「チカちゃん? もちろん、いいさ。チカちゃんは家族も同然だ。チカちゃんにも一緒にお祝いしてもらえるなんてうれしい限りだねえ」

 「そうだね。チカがお祝いしてくれたら、お母さんも喜ぶよね」

 この一年、ナオミはチカを伝道したい一心で過ごしてきた。それはナオミ自身の思いであると同時に、母親であるカオリの励ましがチカを伝道しようとするナオミの心の支えとなっていた。

 「それでね、お父さん。お願いがあるの。その時チカに、祝福結婚のこと、話してくれないかなあ。お父さんの体験したことや感じてきたことでいいんだけど。お母さんとの思い出とか、心に残っている夫婦のエピソード、なんていうのも話してくれるといいかも」

 「お父さんの話でよければ喜んでするけど、なんでまた、祝福の話をチカちゃんに聞かせたいの?」

 「いつになるか分からないけど、私だけ祝福を受けるわけにはいかないって思うの。だからチカにも祝福のこと、意識してもらいたいなって思って。やっぱ、チカにも祝福を受けてもらいたいし」

 相変わらず、ナオミはストレートで返してくる。率直なところがナオミの長所だ。

 「そうかあ。そうだよな。…そうだ、そうだ。いいことだ、いいことだ」

 としか返球できない私はちょっとさえない感はあったが、内心は熱い思いにあふれていた。

 そうなのだ、ナオミもチカも結婚を考える時期を迎えているのだ。

 ナオミが繰り返す「祝福」という言葉が私の耳に心地よく、無性にうれしかった。

 結婚は、とりわけ現代社会にあっては難しい課題の一つであると私は考えていた。

 宗教的なコミュニティーにおいても同様だ。信仰心というものは素晴らしいものだが、男女二人が婚姻によって結び付いて新しい家庭を営んでいくことは、時として大きな困難が伴う。
 結婚が神の祝福であるとなれば、なおさらである。

 「人がひとりでいるのは良くない。彼のために、ふさわしい助け手を造ろう」

 「…人は父と母を離れて、妻と結び合い、一体となるのである」

 聖書の言葉が私の脳裏に浮かんでは消えた。

 今度の祝福結婚記念日は、二人の若き女性たちに私たちの祝福体験を証しする一日となるのだ。

 これは責任が重いぞと、にわかにプレッシャーを感じ始めた私だったが、大事なのはナオミの考えであり、これからの未来である。私の持論を主張する場でもなければ、祝福結婚を強要する場でもない。

 「ナオミは祝福結婚についてどう考えているの?」

 目の前に迫る重要なテーマであったが、今まで面と向かって話してこなかった。

 「祝福のことは子供の頃から聞いてきたし、自分なりに理解していたつもりだったけど、チカを伝道しようと思ってから、教会のことや信仰のこと、いろいろと深く考えるようになったし、伝道することの責任も感じるようになったわ。

 最近は“宗教2世”のことも話題になっているでしょ? それは他人事(ひとごと)じゃないし、私自身、当事者意識を強く持っているつもりよ。だからこそ、しっかりと考えたいし、チカにも責任を持って勧めたいと思っているの」

 ナオミの意図はよく分かった。
 パンフレットを渡して説明するようなものではなく、実際の祝福家庭としての言葉と実体を通して、チカに祝福を伝えたい、そういうことなのだ。

 私は2杯目のコーヒーを飲んでいた。

 「お父さん、眠れなくなっちゃうんじゃない?」

 ナオミの話で十分眠られなくなっているよ、と口には出さなかったが、私はただうなずきながら、コーヒーの味を意識して確かめようとしていた。

 翌週の土曜日の夜、私とカオリの祝福記念日の祝いの場が持たれた。
 ナオミが寿司とホールケーキを用意し、チカは花束とコーヒー豆を持ってきてくれた。私のコーヒー好きはチカもよく知るところとなっていたのである。

 「結婚記念日、おめでとうございます。今日はお招きいただきありがとうございます。
 お父さんのお話、たくさん聞かせてくださいね。楽しみです。ワクワクしてます」

 チカは最初から少々興奮気味だった。
 家族の誕生日のお祝い以外に親の結婚記念日を毎年家族皆でお祝いしているとナオミから聞いて、チカは驚いたという。
 友人の父親ではあるが、親から結婚の話を聞けるというのでチカは興味津々だった。

 「チカ、目には見えないけど、お父さんの隣にはお母さんが座っているってことでよろしく」

 「了解で~す。テーブルのレイアウトも4人分でセッティング済みだよ~」と調子がいい。わが家との付き合い方にも慣れたものだ。

 ナオミは「お母さんはお寿司が好きだったんだよ」と私から聞いて以来、カオリの誕生日と結婚記念日のお祝いには必ず寿司を用意するようになった。ナオミにとってはカオリが主賓なのである。

 最初は近況の共有から。仕事の話、フィリピンでの体験、そして最近の若者たちのトレンドまで。ナオミとチカのおしゃべりは縦横無尽だ。

 食事を終えると、「今日は私にコーヒーを淹れさせてください」と、チカが豆を挽いた。

 「ナオミのママもコーヒーがお好きだったんですよね。チョコレートを食べながら、ブラックコーヒーを飲むのが定番だったって聞きました」

 「いや~、まいったなあ。私たち夫婦のこと、かなりリサーチ済みのようだね」

 「ええ、ナオミからしっかり聞いて押さえてますから」

 ナオミが用意したホールケーキも、定番のイチゴのデコレーションケーキだ。ろうそくは8本、家族の人数にチカを加えた数だとナオミは言った。

 途中から祖父母たちもビデオ通話で結婚記念日のお祝いに参加し、ケーキを囲む。
 祖父母たちもチカの笑顔を喜び、互いを歓迎し合った。

 ひとしきりお祝いの言葉を述べ合った後はいよいよ私の祝福結婚人生を語る時間となった。

 祖父母たちの希望で、ビデオ通話は継続したままだ。

 ナオミはノートパソコンを持ち出し、「お父さんとお母さんの出会いからお母さんの聖和までの写真を集めてスライドショーにしてみたの」と、いつの間にかサプライズの演出まで入れてきた。

 写真を見ながら一番涙を流していたのはチカだった。
 スライドショーが終わると、涙で声を詰まらせながら、「本当に、おめでとうございます」と最初に言ったのもチカだった。

 「さあ、お父さん、いよいよ証しの時間よ。お母さんとの出会い、祝福結婚のこと、思う存分、話してちょうだいね」

 照れくさく、恥ずかしさでいっぱいだったが、左の席にカオリの存在を十分に感じながら、私はおもむろに話し始めた。

 ナオミのため、そしてチカのために。


登場人物

●柴野高志(タカシ):カオリの夫、ナオミの父
●柴野香里(カオリ):タカシの妻、ナオミの母、ナオミが6歳の時に病死
●柴野尚実(ナオミ):タカシとカオリの一人娘
●柴野哲朗(テツオ):タカシの父、ナオミの祖父
●柴野辰子(タツコ):タカシの母、ナオミの祖母
●宮田周作(シュウサク):カオリの父、ナオミの祖父、ナオミが14歳の時に病死
●宮田志穂(シホ):カオリの母、ナオミの祖母
●川島知佳(チカ):ナオミの親友、大学時代にナオミと出会う

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 次回もお楽しみに!

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