2024.09.28 22:00
ほぼ5分で読める統一運動 19
日本宣教への道、誰よりも日本を愛した文鮮明師
稲森 一郎
キリスト教は、イエスが弟子たちに語られた「宣教大号令」である「あなたがたは行って、すべての国民を弟子として、父と子と聖霊との名によって、彼らにバプテスマを施し、あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ」(マタイによる福音書 第28章19~20節)というみ言(ことば)を受けて、世界伝道に乗り出しました。
文鮮明(ムン・ソンミョン)師の新しい真理のみ言の世界に向けての伝播(でんぱ)は、韓国で初期の弟子たちを獲得して間もない1950年代の終わりごろ、一人の弟子に重要な指示を下された時から始動しました。
文師は忠清南道の鶏龍山にある甲寺で、崔奉春(チェ・ボンチュン)宣教師に次のように語ったといいます。
「『君は玄海灘を渡らねばならない。死ぬ前には帰ってこれない。神様のみ旨はそのように、厳しいものなのだ』…。『君が無事に到着する時まで、寝ないで君のために祈祷し、君のために精誠を尽くそう』と言い、『死んでも任務を全うする時までは現れるな』…」(『真の御父母様の生涯路程③』204ページ)
文師はこれほどまでの覚悟を持って日本宣教の使命を崔氏に託したのです。
文師は以下のように述べています。
「今後私が誰よりも日本を愛することによって、アジアで神様のみ旨を展開することができる相対的基準になるのです」(同、203ページ)
「我々のみ旨が世界的なものであるならば、隣の国日本にも果たすべき責任があり、様々な国にも果たすべき責任があるのです。ゆえに我々は、受難の道をたどりながらでも世界に宣教師を送らなければならないのです」(同、203ページ)
文師は「私が誰よりも日本を愛する」と表明し、神様のみ旨がアジア的に、世界的に展開し発展するための役割を日本が果たすことになるのだと、日本宣教の意義を語られたのです。
1950年代、韓国一国では問題を解決できない国際情勢がのしかかっていました。
北は金日成(キム・イルソン)主席を中心として、ソ連と中共が後援する立場にあり、この難局を解決し、大韓民国が生き残る一つの突破口を開くためには、日本宣教を成功させ、さらには米国宣教をも突破していかなければならないことを文師は洞察していたのです。
北朝鮮、ソ連、中国が朝鮮半島の共産統一を狙っている危機状況があることは明らかでした。それ故、神様の摂理は民主主義世界が一体化することであり、その核心が韓国、日本、米国の一体化であることは疑う余地のないことでした。
新しい真理を中心とする韓国と日本の一体化が非常に重要であることから、文師は日本の歴史上の誰よりも日本を愛したと語られ、また内的基準においては、日本人以上に日本を愛したと告白したのです。
今日、統一運動は日本への復讐行為であり、日本の青年たちをかどわかすものだ、文師の反日は明らかであるという人々がいますが、そのような見方は真実に程遠い邪見に過ぎません。偏見も甚だしい見方です。
1958年に崔奉春氏が日本入国を果たし、さらに米国には、金永雲(キム・ヨンウン)女史と金相哲(キム・サンチョル)氏が1959年に入国、さらに1964年には朴普熙(パク・ポーヒ)氏も米国入国し、日本と米国で宣教活動が活発化します。
明確な神のビジョンに従って展開する以上、宣教活動の成功は不可欠です。
1960年代、日本と米国も、韓国に続く重要な宣教国となり、統一運動を推進する数的基盤が徐々に整い形成されていきます。