2024.09.20 22:00
【テキスト版】
ほぼ5分でわかる人生相談Q&A
幸せな人生の極意!
第205回 難病で苦しみながらも乗り越えた人を教えてください
ナビゲーター:阿部美樹
皆さん、こんにちは!
今回は、「難病で長期の入院をしています。同じような苦しみを乗り越えた人を教えてください」という質問に対してお答えします。
日本の厚生労働省が定めた指定難病で苦しむ人は約100万人いるといわれています。
指定難病とは、治療が困難であり、長期的な医療支援が必要とされる疾病です。
患者本人だけでなく、そのご家族の心の苦しみと負担は、想像できないほど大きいことでしょう。
病気によって人生の夢や希望を失い落胆する人が多い中、それを乗り越えて第二の人生を力強く歩まれる人もいます。
そのかたは、岸田ひろ実さんです。
1968年に大阪市で生まれ、結婚し、普通の主婦でしたが、その後、激動の人生を歩みます。
27歳の時に長男を出産しました。
喜びの出産を夢見ていましたが、現実はダウン症と重度の知的障害のある長男でした。
あまりに大きなショックに、生きる力を失いかけましたが、覚悟を決めて困難な子育てを始めました。
その後、長女も誕生し、子育てと仕事で忙しい日々が続きます。
そして、37歳の時、働き盛りの夫が急性心筋梗塞で突然亡くなりました。
急死だったので、最期の別れの言葉も伝えることができないまま、一家の大黒柱を失いました。
それから3年後、ひろ実さんが40歳の時、本人が大動脈解離で倒れました。
手術の成功率が20%といわれる大手術を受け、一命を取り留めましたが、目を覚ました時に担当の医師から、「下半身まひで一生歩くことはできないだろう」と告げられたのです。
寝返りも自分でできない体になり、ただじっと天井を見上げながら涙を流したといいます。
娘の支えがあり、リハビリをしながら、車椅子で移動するまでになりましたが、あまりにつらくて娘の前で次のような言葉を漏らしたそうです。
「何で生きているんだろう。死にたい!」
その時の娘の言葉がひろ実さんの脳裏に焼き付きました。
「ママが辛いのは知っている。だから頑張らなくていい。でも、いま死なれると私が困る。私はママのおかげで生きている。もうちょっとだけ、私を支えてほしい。そしたら今度は私が大丈夫にしてあげるから、2億パーセント大丈夫だから、私を信じて…」
この言葉でひろ実さんは、「何もできなくても必要としてくれる娘がいる、娘のために生きよう!」と気持ちが転換させられました。
人は誰かのために存在している、人間の本質は「ために生きる」ことなのだと実感します。
その後、ひろ実さんは自分の病気の体験を全国各地で伝えるようになりました。
ひろ実さんの話を聞く人の多くが、涙を流しながら「勇気をもらった」「希望をもらった」と感動します。
ひろ実さんは、「これまで生きてきた中で今が一番幸せだ!」、そう思えるようになった二つの鍵について語っています。
一つは、「『視点を変えること』、出来事と結果の間には、受け取り方という色眼鏡が入ります。それによって結果は自分で変えることができます。歩けなくなった出来事は変わりませんが、見方を変えることで、私は幸せだと思えるようになりました」。
もう一つは、「いつも『笑顔』でいること。悲しいときも辛いときも笑顔でいる。無理矢理、笑顔になると脳は楽しいと錯覚してプラスのループになるんです」。
このように、「視点を変えて感謝して生きること」「常に笑顔で楽しく生きること」の大切さを教えられます。
岸田ひろ実さんのように、今が一番幸せだと言えるように歩んでいきたいものです。
【参考】
人間情報誌『致知』2015年12月号