家族の絆づくり 37
「仕える人」と「仕えられる人」のどちらになりたいですか?

ナビゲーター:阿部 美樹

どちらが偉い人?
 「仕える人」とは、一般的に主人に仕える「僕(しもべ)」や「召使(めしつかい)」であり、「仕えられる人」は「主人」です。簡単に考えれば、仕えられる人は「偉い人」「身分の高い人」であり、仕える人は「従う人」「身分の低い人」というイメージをもつ人が多いかもしれません。
 しかし聖書には、「仕える人となりなさい」と説かれています。

 「あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、仕える人となり、あなたがたの間でかしらになりたいと思う者は、僕とならねばならない」(マタイによる福音書 第20章26~27節)

 「心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう。この幼な子のように自分を低くする者が、天国でいちばん偉いのである」(マタイによる福音書 第18章3~4節)

 このように、神様を中心とした人生、信仰の生活において大切なことは「仕える人になる」「侍(はべ)る人になる」ことです。

万民に仕え、侍る愛の生き方
 「仕える」とは、主人の願いや命令に合わせて、それに従順に従うことです。また、相手の願いをかなえてあげることであり、相手に奉仕することです。

 まさに、為に生きる人の姿は、外的に見れば仕える姿に見えます。家族に奉仕することは家族に仕えることであり、地域社会で奉仕することは社会に仕えることです。このように仕える生き方こそ、「愛の生き方」と言えます。

 一般的に見ても、愛することなく、愛されることだけ願う人は周りの人から敬遠されるように、仕えようとせず、仕えられることだけを願う人は敬遠されます。反対に、愛の心をもって仕える人には、自然と人が集まります。神様に仕え、他の人に仕えようとする生き方をしている人には、仕えなさいと命令されなくても周りの人は自然に仕えたくなるものです。