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(『祝福家庭』97号)
【第2・第3祝福】「家庭完成・主管性完成」

 いつでもどこでも、訓読生活!
 このシリーズでは季刊誌『祝福家庭』に掲載されている三大祝福完成に関するみ言を紹介します。

【第2・第3祝福】
「神様に侍る」に関するみ言(3)

神様の心情を体恤する真の息子、娘に
 神様は、皆さんの近くにいらっしゃり、誰よりも皆さん一人一人を心配される方です。世の中では、肉親の父母の愛が一番大きいと思っていますが、神様の愛は、それよりも大きくて深く、世の中のいかなる人間的な愛よりも深くて大きいのです。このような神様の愛の懐に抱かれ、父を呼び求める皆さんにならなければならず、「父の悲しみを私は知っています」と言える立場で、神様の内的な心情を体恤(たいじゅつ)する真の息子、娘にならなければならないのです。


(天一国経典『天聖経』第11篇・第1章・第1節・8)


神様のために御飯を食べる
 皆さんは、おなかがすけば、「ああ、おなかがすいた! 御飯、御飯、御飯!」と言いますが、誰のために食べようとするのですか。神様のために食べようとするのですか、自分のために食べようとするのですか。神様のために食べなければなりません。そのようにして、神様の完全な聖殿を造らなければなりません。

 「私の中にいる神様がおなかをすかせて、御飯を食べようとおっしゃっている」と考えなさいというのです。そのように御飯を食べれば、その御飯は聖なる御飯になるのです。トイレに行くのもそうであり、息をするのもそうであり、すべて同じです。

 聞くのも、「私一人で聞く」と考えてはいけないというのです。見るのも、触るのもそうです。「私一人でする」と考えてはいけないのです。人と会うのも、サタン世界と向き合うのも、神様が向き合うと考えなさいというのです。話をするにしても、神様が話すと考えなさいというのです。


(同 第11篇・第1章・第2節・6)


「心情の礼服」を着る
 神様に侍(はべ)る場には、礼服を着て参席しなければなりません。着る礼服ではありません。「心情の礼服」です。心から、み言とともに、賛美とともに、感激した心情が流れ出てくるなら、天は皆さんを通して役事されるのです。

 堕落した人間がエデンの園から追放されるとき、涙を流しながら追い出されましたが、皆さんは、涙を流すとしても、喜びの涙を流しながら、笑顔で神様に出会わなければなりません。悲しみの涙も流したことのない人が、喜びの涙を先に流してはいけません。

 ですから、神様を失ってはいけないのです。


(同 第11篇・第2章・第1節・3)