https://www.kogensha.jp/shop/detail.php?id=4252

(『祝福家庭』97号)
【第2・第3祝福】「家庭完成・主管性完成」

 いつでもどこでも、訓読生活!
 このシリーズでは季刊誌『祝福家庭』に掲載されている三大祝福完成に関するみ言を紹介します。

【第2・第3祝福】
「神様に侍る」に関するみ言(2)

神様が「私」の父であることを知る
 皆さんは、神様の事情を知らなければなりません。その事情を知って、その次には神様の心情を知らなければならず、「神様が私の父である」と考えなければなりません。「私」の父、私たちの父だというのです。私たちが学び、聞き、侍(はべ)る生活をするのは何のためでしょうか。それは、聖書に流れている神様の事情を知り、神様の心情を知るためです。傷を負い、蹂躙(じゅうりん)され、排斥され、引き裂かれながらこられたその神様が、私の父であることを知るためなのです。


(天一国経典『天聖経』第11篇・第1章・第1節・4)


神様は何千万年も、慕わしい息子に会うために投入
 父母が子女を愛する心以上に、神様に侍らなければなりません。父母は、自分たちが生まれて二十数年の間、精誠を尽くしたのです。

 神様は、何千万年です。人類が生まれてから、何千万年です。何千万年の間、慕わしく思った息子に会うために投入し、精誠を尽くしたというのです。精誠を尽くしたからといって、「私は精誠をすべて尽くした」と考えてはいけません。精誠を尽くしたあとも、不足だと感じなければならないのです。


(同 第11篇・第1章・第1節・7)


いつも神様と共に暮らす
 信仰生活は、天に侍って共に暮らす生活です。朝に日が昇り、お昼になり、夕方になって日が沈むのは変わりません。千年、万年変わらないのです。その軌道が狂うことになれば、すべてのものがずれていきます。

 愛の心、真の愛の道を訪ねていかなければなりません。真の生命、真の血統を受け継いだ人は、神様の眷属(けんぞく)になって、いつも神様と共に暮らすというのです。自然と共に喜びながら生き、自分が行き来する生活を喜んですることが、神様と共に暮らすことなのです。


(同 8篇・第1章・第1節・16)