2024.09.07 22:00
ほぼ5分で読める統一運動 16
人類歴史の大転換となった1960年
稲森 一郎
1960年の4月11日(陰暦3月16日)、文鮮明(ムン・ソンミョン)師(40歳)と韓鶴子(ハン・ハクチャ)女史(17歳)の両人は、天が予定し準備し定めた摂理的な最大の行事として、聖婚式(小羊の婚宴)を挙行されました。
この聖婚式は、文鮮明師が「人類の真の父」として、韓鶴子女史が「人類の真の母」として立つという意味を持った婚宴であり、人類を霊肉共に救済する(人類を新しく生み変える=重生=人類の祝福結婚式)ために絶対不可欠の「人類の真の父母」を成立させる重要な式典となったのです。
そのことは、「…先生が、生涯で最も貴いと考えたものとは何でしょうか。祝福です。皆さんにとっても、人類歴史始まって以来の最高の贈り物とは祝福です」と端的に語っておられることでも分かります(『真の御父母様の生涯路程④』18ページ)。
この聖婚式によって人類の祝福が可能になったということです。
「統一教会を中心として(文師の)満40歳の時である1960年度までに、天的なプログラムを転換する基盤を築きました。それゆえに、世界は1960年度から新しい歴史時代に入っていくというのです。歴史家たちは、外的な結果だけを見ていて、その内的な動機がどうなっていたのかを知らずにいます。
1960年度から今日まで、世界の多くの国の解放が起こったのです。国連に加入した3分の1近くの国家が、1960年度以降に解放されたのです。それはどうしてでしょうか。父母が来る時だというのです。そのことは人々には分かりませんでしたが、父母が来れば兄は弟を愛さなければ雷を落とされることを、その心で感じられる人を通じて、1960年代に異質的な歴史的転換期が到来したのです」(同、19ページ)と文師は述べています。
聖婚式により文師夫妻が「真の父母」に立たれたことによって、歴史的な大変革期に入ったと言明されているのです。
アフリカなどの途上国が次々に独立し、植民地支配の隷属的時代から人類解放の黄金期に突入する機運が現れるようになったということです。
「…世界的な流れが、1960年を基点として、主義を中心とした形態から国家を中心とした形態をもって現れるようになりました。世界的な共産主義が、国家的な共産主義と民族的な共産主義に分かれるようになったのです。それでソ連と中共が争うようになったのです」(同、19ページ)と文師が語られたように、国際共産主義が国家共産主義となって中ソ対立が深刻化します。
1963年6月、中国共産党がソ連共産党に対し「国際共産主義運動の総路線についての提案」を発表、全面的な「中ソ論争」に突入しました。
中国の毛沢東は米ソ二大国とイギリスによる核独占に強く反発して自前の核兵器開発を始め、1964年10月に中国の核実験を成功させます。
同年のフルシチョフ失脚後も対立は続き、1965年ごろから本格化した文化大革命でも、毛沢東はソ連を修正主義として激しく非難しました。
1969年3月にはウスリー江の珍宝島事件(ダマンスキー島事件)などの中ソ国境紛争に発展しました。
毛沢東はソ連を最重要の敵と位置付けるまで対立をエスカレートさせました。
1970年代に入ると、米中が接近して共通の敵としてソ連をけん制するなど、複雑な国際情勢が現出します。
文鮮明師は、1960年という時点で世界の激変を明確に預言し、見通していました。
1960年の聖婚式を境に世界の景色が急激に変わっていったのです。