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小説・お父さんのまなざし

徳永 誠

 父と娘の愛と成長の物語。
 誰もが幸せに生きていきたい…。だから人は誰かのために生きようとします。

34話「夢の知らせ」

 父が定期健診で引っかかった。
 そのことを私に伝えてきたのは父自身だった。
 父は電話口でぼそぼそと告げた。

 父は分かりやすい人だ。心の状態がすぐに態度に表れる。それを正直な性格と言い換えることもできるだろう。

 「大丈夫だ。心配ない」

 誰が聞いても、不安げにしか聞こえない。

 「大丈夫じゃなさそうだね。心配でしょう。いい年なんだから、そりゃどこか不調なところも出てくるよ。健康診断で分かって良かったんじゃない。とにかく再検査の結果を待つしかないよ」

 再検査を行い、その結果は111日に分かるのだという。
 父は84歳になっていた。

 111日の朝、私は夢を見た。

 夢の中で私は、大きな家の門の前に立っていた。理由も目的も分からないが、とにかく私はこの家を訪ねなければならないのだ、という意思を持っていることは明らかだった。

 私はその門を押し開けた。すると30代と見受けられる一人の男性が立っていた。
 無表情だが、神経の高ぶりが伝わってくる。少し怒っているようにも見える。

 「どうも見覚えのある顔だぞ。誰だろう?」

 彼は私に向かって何事か話し始めた。
 声は聞こえるのだが、何を話しているのか全く分からない。頭の中では、その言葉が日本語だとは分かるのだが、意味が認識できないのだ。
 最後の言葉だけが意味と共に私の頭の中にすとんと落ちた。

 「がんだよ」

 その瞬間、彼が誰であるかが分かった。
 義父である。30過ぎの印象を与える青年だったが、間違いなく妻カオリの父、シュウサクだった。

 「え? がん?」

 その瞬間、私は目を覚ましていた。

 シュウサクの夢を見たのは初めてだった。シュウサクは9年前にくも膜下出血が原因で亡くなっている。

 今日は父の再検査の結果が分かる日だ。青年の姿で現れたシュウサクは夢の中で、確かに「がんだよ」と私に向かって告げた。父は本当にがんなのだろうか。

 その夜、私は父に電話をかけた。

 「お父さん、再検査の結果、どうだった?」

 「大丈夫だ。問題ない。心配するな」

 「医者は何て言ってるの?」

 父はぼそぼそと返す。

 「がんじゃないよね?」と、私は思い切って尋ねてみた。
 父は「いや、違う」と否定した。しかし医者からはなるべく早く精密検査を受けるよう促されていたのだ。

 父が「大丈夫」を繰り返す時は、たいてい大丈夫ではない。問題の先送りの意と捉えて間違いない。

 私はシュウサクの夢のお告げを受け入れた。
 私は、すぐに精密検査を受けるよう、気の進まない父を説得した。

 精密検査の後、手術の日は3週間後と決まった。
 私は術日の二日前に故郷に帰り、担当医と面会した。
 医者は父の状況を淡々と説明した。

 「お父さんは大腸がんです。息子さんご存じなかったんですか? 再検査でS状結腸にがんが見つかりました。ステージはⅡ期と見ています。お父さんにはお伝えしたのですが…」

 父は「がん」という言葉を決して口にしなかった。

 手術の日の朝。
 私はまた夢を見た。

 昼なのか夜なのかも分からなかったが、私が立っているその部屋は明るかった。白光色に照らされた中央の楕円(だえん)のテーブルは八つの椅子で囲まれていた。

 私はそのうちの一つの椅子に腰掛け、目の前に置かれたお茶の入ったカップを見つめた。
 私は人の気配を感じて顔を上げた。いつの間にか、テーブルの向かい側には一人の男性と一人の女性が座っている。

 初老の男性は笑みを浮かべ、隣に座った30代と思われる女性も私と目を合わせてほほ笑んだ。

 義父のシュウサクと妻のカオリだった。
 言葉は交わさなかったが、目を合わせた瞬間から二人が伝えたいことを私は理解していた。

 手術は午後に行われる。
 私は夢の記憶が薄れないうちに父に会いたいと、予定よりもだいぶ早く病院に向かった。

 手術室に入る父に私は声をかけた。

 「お父さん、大丈夫。きっと手術はうまくいくよ」

 「ああ、分かってる。大丈夫だ。心配ない」

 その顔は、昨晩までの不安げで弱気に沈んでいた父とは打って変わって、明るく穏やかな表情をしていた。

 手術は無事に終わった。早期発見でがん細胞は大腸壁の深部に至っておらず、リンパ節への転移も確認されなかった。

 手術が行われた翌日、ナオミもお見舞いに駆け付けた。
 父は術後10日ほどで退院した。


 柴野家は年の瀬を迎えていた。
 家族が一堂に会する機会も少なくなっていたが、父の病気がきっかけとなって、年末年始は家族で一緒に過ごすことになった。

 大分の義母も青森に呼び寄せ、両親とナオミと私を合わせて5人の顔ぶれが久しぶりにそろった。

 ホスト役はナオミが務めた。

 「久しぶりだね、みんなで集まるの。大分のおばあちゃん、青森は初めてでしょ。すごく寒い季節に無理言ってごめんね。来てくれて本当にありがとう」

 「青森は以前から来てみたかったのよ。今回、来れてよかったわ。長いお付き合いなのに、一度も来られず申し訳なく思っていたの。
 何より、タカシさんのお父さんが元気になられて本当に良かったわ」

 シホの言葉にタツコが応じた。

 「こちらこそ、長らくご無沙汰しておりました。この時期は、大分と青森では随分気候も違うでしょうから、お体には気を付けてお過ごしくださいね」

 大みそかを迎えた東北の小さな地方都市は、気温は低かったが穏やかな日差しに包まれていた。

 せっかく家族全員が集まったのだからと、ナオミが近くのレストランで外食をしようと提案した。
 異議を唱える者は誰もいない。ナオミの声に動じ静ずるのが祖父母たちの楽しみなのだ。

 「じゃ、決まりね。ランチタイムで予約するわね。和食がいいよね。おじいちゃんはおかゆね。個室のあるお店探してみるわね」

 ナオミはスマホをササっと使いこなしながら、店探しをする。
 うまい具合に個室のある店も見つかり、5人はレンタカーに乗り込んだ。
 高齢となった父はだいぶ前に運転免許も返納している。長年愛用していた自家用車も処分済みだ。

 レンタカーは祖父母たちと一緒に移動することもあるだろうと、ナオミが準備した。雪道の心配もあったが、暖冬のおかげで道路に積雪はなく、東京在住者のナオミの運転もとりあえず心配はなさそうだ。

 街はすっかり師走の装いだ。新年の準備に人々は足早に往来する。
 この時期は帰省者で地方都市は活気づく。北国に熱気が流れ込む。雑踏の中を歩けば、懐かしい方言のサラウンドに包まれる。

 「いらっしゃいませ」

 中年の女性店員の元気な声に招かれて、ナオミは予約者の来店を告げた。
 店員の案内で5人は奥の個室に通された。

 上着をハンガーに掛けて席に着く。5人とも個室を見渡しながら、「前にもここで食事をしたことがあったかしら?」とタツコがつぶやく。

 「青森のおじいちゃんとおばあちゃんは来たことあるんじゃない? 地元だし…」とナオミは応じながら、「あれ? 確かに私もここに来たことがあったような?」とぐるりと部屋を見回した。

 「まずは、メニューを決めましょう。おじいちゃんも無事帰還したことだし、家族みんなでランチを楽しみながら、一年を振り返って、思い出話に花を咲かせましょうよ」

 私はここが「あの場所」であることに気付いていたが、「証し」は腹を満たしてからじっくり話そうと決めた。

 乾杯の後は、それぞれの好みの料理を味わいながら、一年を振り返る。

 「じゃあ、お父さんからね」とナオミが私に振る。

 「そうだね。私から話すべきかもしれないね。
 では、証しを一つ披露したいと思います」

 私は父の再検査から始まる一連の夢に導かれた出来事を語った。そして手術の日の朝、シュウサクとカオリに出会った場所は、間違いなく今自分たちが食事をしているこの部屋だったと証しした。

 私の証しを皆驚きをもって受け止めてくれるものと期待していたが、予想に反して、目を丸くするふうもなく、そうだそうだと、誰もがうなずきながら当たり前のように聞いている。表情も穏やかなままだ。

 「…お父さん、実はね、私もお父さんと全く同じ夢を見ていたのよ。だからこの部屋に入った時、そうか、これがこの物語のエンディングなんだって思ったわ。きっと家族全員が同じ夢に導かれていたんじゃないかなって思ったの」

 「じゃあ、家族全員が同じ夢を見せられていたってことか?」

 テツオもタツコも、そしてシホもうなずいている。

 「ナオミちゃんに年末年始を一緒に過ごさないかって誘われた時、これは神の導きだなと思ったのよ。夢の中でも八つの椅子があったでしょう? 実際も8脚の椅子、8席あるの。これも意味あることなんだなって思ったわ」

 「八つの椅子の意味、ですか?」

 私は思わず、問い返した。

 「そう、8席よ。テツオさんとタツコさん、タカシさんとカオリ、夫のシュウサクと私、そしてナオミちゃん。これで7人よね。もう一つの席は誰だと思う? タカシさん」

 「う~ん、誰でしょう? …もしかして、…ナオミの夫となる人、ですか?」

 「そう。私はそう考えたわ。実際にこの場所に来て、三つの空いている席の二つには、シュウサクさんとカオリがそれぞれ座っていると感じたわ。もう一つの席に座る人物が誰なのかはまだ分からない。でもその席にナオミちゃんの伴侶が座る日が近いことを神様は知らせてくださっているんじゃないかしら」

 私は驚いた。
 確かに霊界から父の健康状態を知らせてくれていることは間違いない。こういうことを「夢の知らせ」というのだと思っていたが、事はそう単純ではなかったのだ。
 この夢物語は、二重のストーリーで編まれていたのだ。

 ナオミの祝福のための準備をせよという知らせなのか。

 両親と義父母が祝福を受けてから7年になる。当時16歳だったナオミも23歳になった。

 祝福の時が近いのだ。

 私はナオミに目を向け、そして静かにその隣の空いている椅子をじっと見つめた。


登場人物

●柴野高志(タカシ):カオリの夫、ナオミの父
●柴野香里(カオリ):タカシの妻、ナオミの母、ナオミが6歳の時に病死
●柴野直実(ナオミ):タカシとカオリの一人娘
●柴野哲朗(テツオ):タカシの父、ナオミの祖父
●柴野辰子(タツコ):タカシの母、ナオミの祖母
●宮田周作(シュウサク):カオリの父、ナオミの祖父、ナオミが14歳の時に病死
●宮田志穂(シホ):カオリの母、ナオミの祖母
●川島知佳(チカ):ナオミの親友、大学時代にナオミと出会う

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 次回もお楽しみに!

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