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ダンベリー精神 6

 このシリーズでは、真のお父様のダンベリー連邦刑務所(米国コネチカット州)収監(1984年7月20日)から40年を迎えて、「ダンベリー精神」とは何だったのかを振り返ります。(一部、編集部が加筆・修正)

 1984年720日、真のお父様はダンベリーへの出発に当たり、イーストガーデンに集まった教会員に向かって激励のみ言を語られました。
 その要旨を3回に分けて紹介します。今回は、その3回目です。

 お父様は、「世界を見てごらんなさい。私たちは決して一人ではありません。今では私たちを支持してくれる多くの友人や味方の団体がいます」と教会員を激励された後、「きょうを期して私たちは前進するのみです」と強い決意を語られました。

ダンベリー出発に際してのみ言③
「東の空に太陽が昇ってくるように、前進、前進、前進」

先生は統一の勇士として、先駆者として行きます

 先生が入監する時、神は死ぬのではありません。皆さんの働きいかんによって、復活の国と復活の世界が成立するのであり、個人ではなく120カ国が復活することのできる世界史的なペンテコステとなるでしょう。

 先生は世界人類を統一する勇士として、先駆者として行きます。また天と地を代表して行きます。
 ですから皆さんは先生と歩調を合わせることのできる一人一人にならなければなりません。真の父母様の息子、娘であるならば、父母様が行かれる伝統の思想を受け継いで一つとならなければなりません。

 統一教会(現・家庭連合)のメンバーは今、皆一つの心です。一つの心です。そしてその目的は、神様のみ旨を成就することであり、神様のみ旨は人類を統一して解放することです。簡単なことですね。私たちはそのために前進いたしましょう。

 受難の道はもちろんのこと、十字架を背負う道であるとしても、死が妨げる道であっても、もし、ぶつかって壊れる時には、神様が私たちを凱旋(がいせん)将軍として覚えてくださるのです。

 死の道であるとしても復帰のために行くのです。神様が「統一の勇士」としての碑(いしぶみ)を建ててくださるのです。その時は、直接神の国へ直行するのです。垂直なのです。

 ですから心配しないでください。
 イエス様も十字架にかかりながら、「私のために泣かないで、あなたがたの子孫のために泣きなさい。イスラエルが一つになることができなかったので未来の悲惨なるイスラエルとローマのために泣きなさい」と言われました。

ムーニーであることに自信と誇りを持たなければなりません

 きょう、イーストガーデンに集って先生の話を聞いている人は少ない数ですが、きょうこの日のために、世界中で涙をもって祈ってくれている多くの人たちがいることを知らなければなりません。

 先生がなぜ世界的な誰もできないことを成そうとして懸命に闘っているのかと言えば、全世界が先生の背後で団結し、世界の祝福を迎えることのできるその日が来ることを知っているからです。

 これから皆さんが外に出て世界に向かって叫べば必ず良心のある人たちの、その良心が呼び覚まされて、そして全て眠っていた人々が起き上がって、世界に向かって同じように叫び一つとなるでしょう。

 このようにして、より大きな統一の道を求めていく時に、必ず成功と繁栄と、勝利の道となるでしょう。
 ですから皆さんは絶対なる決意を持って、外において四方八方に手を広め、世界的な統一運勢圏の前に橋を架け、そこでセメントの役割をしようと努力しなさい。

 世界を見てごらんなさい。私たちは決して一人ではありません。今では私たちを支持してくれる多くの友人や味方の団体がいます。

 偉大なるムーニーの主人を知ったので、ムーニーであることに自信を持たなければなりません。誇りを持たなければなりません。

 そして全世界の人たちを一つにするために、新たに立ち上がらなければならない時です。
 統一の時のために立ち上がって前進し、目標を達成しなければなりません。

神様が自由であれば地上天国は成就できる

 今や夜明けが来たのです。東の空に朝の太陽が昇ってくるのと同じように、統一の太陽が山を越え、個人、家庭、氏族、民族、世界を越えて、私たちを迎えてくれることを知って、前進、前進、前進いたしましょう。

 まず私たちは個人の太陽を昇らせ、次に家庭の太陽を昇らせ、氏族の太陽、国家の太陽、世界の太陽へと、さらに大きな太陽を昇らせる朝を迎え入れなければなりません。

 休む間がありません。悲しむ間がありません。涙を流し絶望している間がありません。ただ所望のために前進するのみです。きょうを期して私たちは前進するのみです。

 それはなぜですか? 神様を解放するためにです。そこから全被造物を自由に主管することのできる時が来るために私たちはやっているのです。
 神様が自由であれば、そこから地上天国が成就できることを私たちは知っているために、その道を探し求めていくのです。

 その間に私たちが精誠を尽くすことは無駄ではなく、すべてが実のある器となるのです。今まではただ器を準備するだけが、これからはその器に実質的なものを入れなければなりません。

 先生は前線に立つ兵士として、皆さんの先頭で、この器に実のあるものを入れるために闘っていく決意です。だから先生は皆さんの先頭に立っています。皆さんのためにも行かなければなりません。
 皆さんと先生の間には世界統一という課題が残っています。

 地獄の世界の門を開くために私は行きます。後は皆さんにお任せします。統一いたしましょう。統一いたしましょう。これが私たちの課題なのです。
 そのために私たちは前進しましょう。それを願う人は立ってください。そこに向かって前進いたしましょう。

 先生は個人時代に監獄にも行きましたが、それは世界的家庭を探すためでした。また家庭時代にも監獄に行きましたが、それも世界のためでした。そして国家時代にも監獄に行きましたが、やはり世界のためでした。今は世界時代の監獄にも行くのですが、これは天と地のためです。

 ですから皆さんも個人的資格で訪ねてくることはできません。イエス様も自分に付いてくるものは十字架を背負ってきなさい、と言われました。先生と一緒に十字架を背負いますか?

 皆さんがその十字架を背負って勝利するならば、先生はそう長くなく自然に出てこられるようになります。
 先生に会いたければこのイーストガーデンに来て祈りなさい。

 では万歳をしましょう。

 하나님 만세!! 참부모님 만세!! 아버님 승리 만세!!

▲み言の最後に万歳をする教会員たち

(『ファミリー』198410月号より)