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ダンベリー精神 5

 このシリーズでは、真のお父様のダンベリー連邦刑務所(米国コネチカット州)収監(1984年7月20日)から40年を迎えて、「ダンベリー精神」とは何だったのかを振り返ります。(一部、編集部が加筆・修正)

 1984720日、真のお父様はダンベリーへの出発に当たり、イーストガーデンに集まった教会員に激励のみ言を語られました。
 その要旨を3回に分けて紹介します。今回は、その2回目です。

 お父様は、「神様のみ旨は一つにすることであり、サタンの目的は分裂にある」と語り、「皆さんが一つになれば地獄の門を開くことができるのです」と教会員を激励されました。

ダンベリー出発に際してのみ言➁
「十字架の道を所望と歓喜の道として行きます」

▲出発に当たってみ言を語られる真のお父様

 先生の信仰はどこに行っても常に変わりません。信仰が変わらなかったということは心が変わっていないということです。
 したがって先生が追求する世界、先生が考える世界も変わらないでしょう。

 私たちの生活は高い所に行っても、低い所に行っても、どこに行っても同じ生活であるということを皆さんは知らなければなりません。

どんな勢力も私たちを分裂させることはできません

 神様のみ旨は一つにすることです。堕落ということがなかったなら、私たちの心と体が一つとなり、男性の心と体が一つとなり、女性の心と体が一つとなって、二人の心と体が一つになり家庭となっていたならば、そこに統一の世界が始まったことでしょう。

 サタンの勢力は何かと言えば、分裂する世界版図圏という勢力であり、その勢力権を持っている世界的チャンピオンがサタンなのです。

 これとは反対に神様の愛はどのようになっているかと言えば、サタンを追放することによって分裂を防ぎ、いくら分裂させようとしても一つになることのできる群をつくらなければなりません。

 したがってこのように分裂した世界の中で、天と地全体が分裂しようとしても、それを統一する力をもった人がいるとしたら神様はどれほど喜ばれるでしょうか。

 イエス様は十字架にかかる時は一人でした。その時はユダヤ教も失い、新しい理想的なキリスト教も失い、ローマも失い、世界も失ったのですが、今日のレバレンド・ムーンはどのような立場に立っているのでしょうか。

 レバレンド・ムーンがやることは何でしょうか。神様が願っておられることを知った今日の統一教会(現・家庭連合)がやる仕事は何か。このことをはっきりと知らなければなりません。

統一教会は涙を流しながらも前進する気根を持っています

 「ムーニー」と言って、あなたたちの父母がまず分裂させようとしたし、四方八方で騒動を起こし、ユダヤ教が分裂させようとし、キリスト教が分裂させようとし、共産党が分裂させようとし、アメリカ政府が分裂させようとしていましたが、今はどんなに打ったり、殴ったりあらゆることをしてきても、私たちを分裂させられないと見始めているのです。

 他の人々はこの戦いを見ながら、レバレンド・ムーンはどうするか、レバレンド・ムーンの妻はどうするのか。ムーニーはどうするのか。私たちの一挙手一投足を見つめているのです。

 もはや統一教会はバラバラになってしまって、完全にやられてしまうだろう。もう万事休すだろうと彼らは考えているかもしれません。
 しかし統一教会は涙を流しながらも前進する気根を持っているので素晴らしいのです。

 ですからお母様も、もし涙を流したとしても、夫が行くからといって失望する涙ではなく、決意する涙でなければなりません。
 失望でなく、希望と決意と未来の闘争のための奮起の涙として変えることができるのは、打たれて奪ってくる法則を守っていく道であり、そうしなければ次は打たれて恵みを受ける基台がなくなってしまうことを知らなければなりません。

 今は泣いたとしても、より大きなものを受けることのできる器となって雄々しく強くなりなさい。希望と所望を持ちなさい。
 そうでなければこれから打たれて天が探してくださる恵みを受けることができず、こぼして失ってしまうことになります。

 だから、たとえ全アメリカから反対されるとしてもレバレンド・ムーンは負けないでしょう。絶対に負けるはずがありません。
 レバレンド・ムーンはアメリカ以上の所望を持って、これから探してくださるアメリカまでも受けることのできる準備をしなければならないのです。

 そしてわれわれは昨日よりもきょう、きょうよりも明日が大きくなり、明日よりも1年後がより大きくなるでしょう。
 それで神様の願いである45億人類が一つとなることのできる道をつくることができるならば、その道を選ぼうとするのが先生の思想なのです。

 大法院の決定が出た時、「神様! 次は何を与えようとするのですか?」と先生は尋ねたのですが、大法院の決定の後にはキリスト教が統一教会に戻ってきたのです。

 今回のこの法廷闘争において、先生が監獄に行く道を通して、これから受け継ぐであろう大きな祝福とは何でしょうか? それは世界の人類が先生の胸に抱かれるようになることです。

 先生が行く道には、統一された家庭が付いてくるし、民族が付いてくるし、統一された国が従ってくるし、統一された世界が付いてくることを知っています。
 そしてこの峠を越えて会う時には、その場に統一された世界の群れが先生を待っているのです。

 先生の行くこの道というのは希望の道であります。そしてそこには、何十億という人がいるでしょう。また、神様と一つに連結できる道があるでしょう。
 私はそのために十字架の道を所望と歓喜の道として行こうとするのです。

地獄の門を開く時、そこには復活があります

 きょうこの日を通じて、統一教会は統一を成就する伝統が父母様より子女様へ、祝福家庭へ、既成教会へ、アメリカへ、世界へと連なる橋が連結されたことを知らなければなりません。

 この橋はだんだんと大きくなっていくでしょう。このように壮大な道を出発するこの日に、皆さんは涙で先生を送ってはいけません。
 涙を流したかったら十倍、百倍、先生以上にこの国と世界のために闘うための涙を流しなさい。

 心が痛み悲しければ、先生が出てくる時、千人を一つにし、一万人を一つにして会うことのできる統一の役軍となることを、この時に神様が皆さんに期待している事実を忘れてはなりません。

 先生は統一教会とキリスト教会と世界が一つになることを信じて監獄に行きますが、先生は監獄の中で一つになることのできない群れたちを一つにするための運動のゆえに行くのだということを知らなければなりません。

 だから皆さんは本当に一つにならなければなりません。皆さんが一つになれば地獄の門を開くことができるのです。
 イエス様が十字架にかかった後に、地獄に行って門を開いたのと同じように、先生は死なずに生きて門を開こうとする最後の峠を越えるのです。

 この門を開く時、そこには復活がありますし、五旬節が付いてくるようになります。先生はこのように思っているのです。(続く)

(『ファミリー』198410月号より)