2024.08.20 22:00
小説・お父さんのまなざし
徳永 誠
父と娘の愛と成長の物語。
誰もが幸せに生きていきたい…。だから人は誰かのために生きようとします。
第32話「楽しく生きる」
クリスチャンであるナオミの母方の祖母シホの信仰の証しはチカの心を捉えた。
シホは時折、聖書の言葉を引用しながら、自分がなぜ、神を信じ、イエス・キリストを慕う人生を生きるようになったかを証しした。
宗教や信仰と無縁の人生を生きてきたチカは、信仰心の篤(あつ)いシホの人生の一端に触れて、このような生き方もあるのだと内心驚いていた。
チカは職場で上司や同僚とうまくコミュニケーションが取れずに悩んでいた。人の心が理解できない。自分は社会不適合者ではないか、チカは苦しんだ。
「こころの貧しい人たちは、さいわいである。天国は彼らのものである」
理解できたかどうかは分からない。しかしシホが引用して読んでくれる聖書の一節一節がチカの渇いた心に染み渡った。
「チカちゃん、九州旅行の記念に由布院のおばあちゃんから聖書をプレゼントするわね」
ナオミからチカの様子を聞いた時からシホはチカのことを祈った。新しい聖書もあらかじめ準備した。
シホはナオミの思いを受け止め、チカのために心を尽くし、思いを尽くした。
シホが手渡す聖書をチカは両手でしっかり受け取り、シホの愛情を深く味わいながら、心から喜んだ。
ナオミは恍惚(こうこつ)とするチカの横顔を見つめながら、自らの胸に込み上げてくるものを感じていた。
それが、シホが以前話してくれた聖霊の働きなのだとナオミは直感した。チカに心を向ける時、衝動的に湧き上がる感情の正体は神の愛というものなのかもしれないと思い始めていた。
3泊4日の九州北部の旅を終え、ナオミとチカは夢から覚めるように日常に戻った。
チカはシホから贈られた聖書を大切に扱った。
チカは新約聖書の「マタイによる福音書」から読み始めた。イエス・キリストの生涯をもっと知りたいと思ったからである。
チカはナオミと聖書について話したがった。すでに聖書を一通り読み終えていたナオミだったが、チカの熱心な質問に答えようとすれば、シホに電話で相談したり、私に尋ねたりすることも増える。
ナオミにとって聖書は、教養を身に付けるための単なる宗教書ではなくなっていった。
チカの熱心さがそうさせたのである。
私の質問への対応はおのずと統一原理の観点が中心となる。
だからといって、クリスチャンであるシホの話と矛盾をきたすことはなかった。むしろシホの話と私の解説はナオミにとって聖書への理解をより深める相互補完的な役割を果たすことになったのである。
チカが四つの福音書を読み終えた頃だった。ナオミがチカを代々木公園の聖地に案内したいと言い出した。
「お父さん、チカを代々木の聖地に誘ってもいいかなあ」
「いいと思うけど、どうして?」
「チカに統一原理をちゃんと学んでみないって、誘ってみようと思うの」
「そうかい。でもわざわざ聖地に誘わなくても…」
「そうなんだけどね。お父さんもよく通ってる場所でしょ? お母さんとの思い出もある場所だし…、霊界のお母さんからの助けも得られるんじゃないかと思って…」
私は驚いた。
どちらかと言えば、理性的で合理的に物事を考えるナオミが霊的なものに強く意識を向けていたからだ。
何よりナオミが幼い頃に母のカオリと家族3人で聖地を訪ねた時のことを記憶していたことが意外だった。
ナオミは本気でチカを伝道しようとしている。
ナオミは聖地という神霊の力が満ちた空間の中でチカと向き合いたいと考えているのだ。
「私が大学4年の時、お父さんが代々木公園に誘ってくれて、ゴーギャンの絵画の話とか、人生の意味とか、文鮮明(ムン・ソンミョン)先生ご夫妻のこととか話してくれたでしょ? 実はあの時、私、信仰のことについていろいろ迷ったり、悩んだりしてたの。でもあの時お父さんと一緒に代々木公園を散策しながら、21日修練会に参加しようって決めることができたの」
ふいに代々木公園の木々の間からのぞく青い空と真っ白な雲の調和の取れた風景が思い出された。
「そうだったね。お父さんもよく覚えているよ」
「21修に参加して伝道実践をしている時に街頭でチカとばったり出会ったの。正直驚いたわ。でも思ったの。神様は確かに私を愛してる。そして神様はチカのことも同じように愛してる。神様はきっと私にチカを伝道してほしいんだなって」
空が高く感じる季節。
いつの間にか蒸し暑さは忘れ去られて、時折頬をなでて吹き抜ける風が気持ちいい。
ナオミはチカと代々木公園を歩きながら、私がナオミに対したように、ナオミもまたチカに語りかけた。
「ねえ、チカ」
ナオミは聖地がある場所に近づくとチカを振り向いた。
「実はね、この辺に、家庭連合が“聖地”と呼んでいる場所があるの」
「聖地?」
「そう、聖地、ホーリーグラウンド。『聖なる地』って書くんだけどね。簡単に言うとね、聖地は天と地を結ぶ場所だといわれているの」
「パワースポット? みたいな…」
「そうね。そう言えなくもないけど、教会の人たちは大事な時にはそこを訪ねてお祈りしたりするのよ」
「へえ、そうなんだね。聖地…、聖なる場所…」
ナオミとチカは聖地が見える場所に着いた。
「ねえ、この広い敷地にいくつか木があるじゃない? この中の一本の木が聖地とされる場所なんだけど、チカはどの木だと思う?」
チカはさっと、イチョウの木を指さした。サクラの木でもなく、ケヤキの木でもなかった。
「え? ビンゴ! すごいじゃん、チカ。どうして分かったの?」
「だって教会の人たちがお祈りしに来る場所なんでしょ? 女の人が祈ってるのが見えたもん。もう見えなくなったけど…」
「え? え? そうなの?」
ナオミには見えなかったが、チカが見た女性は母のカオリに違いないとナオミは直感した。
思わず、涙が込み上げた。
「ナオミ、どうしたの? 大丈夫?」
「うん、ごめん、大丈夫。チカがすぐに当てちゃうから、びっくり。感激して涙が出てきちゃったよ」
ナオミは母に背中を押されるようにチカに告げた。
「ねえ、チカ。家庭連合の教えである統一原理の内容、本格的に学んでみない? 聖書の内容も理解できるようになるし、きっと人生の意味が分かってくると思うよ」
「人生の意味…?」
それは今までも、何度となく、ナオミがチカに繰り返し話してきたフレーズだった。
「そう。人生の意味。われわれはどこから来たのか、われわれは何者か、われわれはどこへ行くのか…」
「それ知ってる。ゴーギャンの有名な絵画のタイトルでしょ?」
「そうそう。さすが、チカ。よく知ってるねえ~」
「ねえ、ナオミ。ナオミ自身は、人生の意味をどう考えているの?」
チカの直球に気おされながらも、ここはしっかり返さねばと、ナオミは一呼吸してチカの目を見つめた。
「…楽しく生きること、かな」
「え? 楽しく生きること? 意外。もっと難しい答えかと思った」
「楽しく生きるって、簡単そうだけど、意外に難しくない? 自由に生きるってことが、自分勝手でわがままに生きることとは違うようにさ。誰でも楽しく生きたいと思っているのに、みんなが楽しく生きるのってすごく難しいじゃない、実際には…。でもやっぱり、誰もが楽しく生きるってことに私たちが生きることの真の意味があると私は思うの」
「…そう、かもね。確かに楽しく生きるのが一番だと思うけど、人生、楽しいことばかりじゃないし、本当の意味で楽しく生きている人って、自分の周りには一人もいないような気がするわ」
ナオミは「幸福な人生」や「幸せな人生」という言葉は使わなかった。あえて人生の意味を「楽しく生きること」と表現したのである。
「私、“楽”って漢字が好きなんだ。チカは、楽の語源知ってる?」
「知らないわ。音楽とか関係ある?」
「すごい! チカ、やっぱさすがだね、その勘の鋭さ」
「難しい“樂”という漢字はね、鈴(白)と糸かざり(⺓)が付いた、お祈りの時に使われる道具の形が始まりだといわれているの。
にぎやかな音で神様を楽しませることから、『音楽』や、『たのしい』っていう気分を意味するようになったそうよ。諸説あり、だけど」
「へえ~そうなの? ナオミ、物知りだね。“楽”って、神様と関係のある文字なんだ。神様を喜ばせるっていうことが“楽”の語源なんだね」
「そう。文化の根底には神との関わりが見いだされることが多いんだよね。音楽自体も誕生の背景には宗教的な意味があったんだと思うよ」
「“楽”って言葉、深いなあ。楽しく生きるってことは、神様を喜ばせて生きるってことなんだね」
「なんかもう、統一原理の核心に触れてるわよ、チカ。やっぱ、ちゃんと原理の全体を知ってもらうべきね、チカには。原理を学んだら、人生、楽しく生きていけるって思えるようになるわよ」
二人はいつの間にか、イチョウの木を囲む型抜き型のドーナツのようなベンチに座りながら、「楽」談議に花を咲かせていた。
チカは次の連休に行われる2日間の統一原理を学ぶセミナーに参加することになった。
聖地で人生の意味を意気盛んに語り合う双子の姉妹のような若い女性たち。
そしてそこには二人を見守る母カオリの姿があった。
【登場人物】
●柴野高志(タカシ):カオリの夫、ナオミの父
●柴野香里(カオリ):タカシの妻、ナオミの母、ナオミが6歳の時に病死
●柴野直実(ナオミ):タカシとカオリの一人娘
●柴野哲朗(テツオ):タカシの父、ナオミの祖父
●柴野辰子(タツコ):タカシの母、ナオミの祖母
●宮田周作(シュウサク):カオリの父、ナオミの祖父、ナオミが14歳の時に病死
●宮田志穂(シホ):カオリの母、ナオミの祖母
●川島知佳(チカ):ナオミの親友、大学時代にナオミと出会う
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次回もお楽しみに!