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小説・お父さんのまなざし

徳永 誠

 父と娘の愛と成長の物語。
 誰もが幸せに生きていきたい…。だから人は誰かのために生きようとします。

31話「信仰の証しを聞かせて」

 ナオミは社会人としての初めての夏季休暇に、チカを誘って34日の九州北部旅行を計画した。
 長崎から入り、熊本を経て、大分へと至る旅だ。
 3日目は由布院で過ごし、最後の夜は祖母シホの家に宿泊する。

 「チカ、無理言ってごめんね」

 旅の計画は8月の下旬となった。

 「ううん、大丈夫。会社は先輩たち優先でお盆休みと有給休暇を合わせて長期のお休みを取るから、下旬の方がちょうどいいタイミングなの。九州も行ってみたかったし」

 ナオミは、7月の奥高尾縦走登山からの帰路に、夏休み旅行のアイデアをチカに告げた。

 8月最初の土曜日。
 互いに日程調整も無事に済んで、旅のプランを立てるために、新宿で待ち合せた。
 待ち合わせの場所は紀伊國屋書店の2階に上がるエスカレーターの脇だ。

 打ち合わせの場所はもちろん、ジャズ喫茶「DUG」
 大切な人と大事な話をする場所だ。

 ナオミはミルクティーを、チカはカフェラテを注文した。ジャズ喫茶はブラックコーヒーだろう、という私の当たり前は彼女たちには通じない。

 「奥高尾の縦走トレッキング、すごく楽しかった。ナオミのお父さんにも改めて伝えておいてね。
 山と人生の話とか、信頼関係が大切っていうこととか、自立と共立のフィロソフィーとか…、いいお話たくさん聞けたし、お父さんの淹(い)れてくれた山カフェ、めっちゃ、おいしかったこともね」

 「うん、お父さんも喜んでたよ。
 実はね、チカを山歩きに誘ったのもお父さんのアイデアだったんだよね。人間、悩みがあったら内にこもってちゃいかん。若者よ、外へ出よ、山を歩けってね」

 「そうなの? それじゃあ、ますますナオミのお父さんには感謝しないとね。
 ほんと、山歩き良かったわ。登山を趣味にしちゃおうかなって思ってるくらいよ。また3人でトレッキングしようね」

 父と娘の合同作戦はうまくいったというわけだ。
 会社の状況が変わったわけではないだろう。チカの心が変わったのだ。
 「私が変われば世界が変わる」ということだ。

 ナオミはチカのビフォーアフターの表情をまじまじと見つめながら、「チカはかわいい妹だな」といとおしさをかみ締めた。

 晩夏の旅は、ナオミの意識が反映され、歴史と宗教色の強いものとなった。
 長崎では平和公園、大浦天主堂やグラバー園を訪ねた。長崎も熊本も、そして大分も、キリシタンの歴史が刻まれた地でもある。

 旅のゴールがカトリック信者の祖母の家であったからかもしれない。
 九州北部旅行は、「巡礼の旅」の装いを見せた。

 本で得た知識がほとんどではあったが、ナオミは中世の終わりから近世、近代史をかいつまんでチカにガイドしてあげる格好となった。

 「人に伝えること、アウトプットが一番勉強になるんだよ」

 ナオミは、いつか父親が話してくれた言葉を思い起こしていた。
 ナオミ自身も、「確かにそうだ。人に伝えることで自分自身に刻み直すことになる」と実感しながら、親友へのツアーガイドを楽しんだ。

 日本に現存するキリスト教建築物としては最古の、大浦天主堂を見学している時だった。
 ふとナオミの心に統一原理で学んだ内容が浮かび上がった。

 「『私』という個性体はどこまでも復帰摂理歴史の所産である。したがって、『私』はこの歴史が要求する目的を成就しなければならない『私』なのである」

 歴史の意味とは何か。
 突然、腑(ふ)に落ちた。

 「私の人生は、歴史の目的の中にあるのだ」と、ナオミは妙に納得した。

(私の人生は私だけのものではないのだ。歴史を導く神のものであり、過去・現在・未来の人類のためにあるのだ)

 ナオミはチカに人生と歴史の意味を伝えたいという衝動に駆られた。

(自分自身も統一原理をもっと学びたいし、チカにも統一原理を伝えたい)

 ナオミは湧き上がる思いが自分の内からだけでなく、自分の外からも入り込んでくるのを感得していた。

(これは何? これは神様の思いなの?)

 「ナオミ、どうしたの?」

 隣にいたチカは、ナオミの顔をのぞき込みながら、心配そうにナオミの手を取って声をかけた。

 「あっ、ごめん。大丈夫、大丈夫。日差しが強くて、ちょっとぼーっとしちゃったみたい…。
 ねえ、チカ。教会堂で一緒にお祈りしない?」

 ナオミとチカは大学時代に国際協力NGO(非政府組織)団体のスタディーツアーで訪れたフィリピンのサン・アグスティン教会(San Agustin Church)で一緒に祈ったことがあった。

 サン・アグスティン教会は、観光地として有名なマニラ旧市街・イントラムロスの中にある、石造りの教会としてはフィリピン最古の教会で、ユネスコ世界遺産にも登録されている。

 その時の祈りは、観光の一つの場面に過ぎなかった。

 「何をお祈りするの?」

 チカはけげんそうにナオミを見つめた。

 「やっぱり、世界の平和かな? そしてお互いの未来の幸せのために…、そして歴史の使命を果たすために…」

 最後の言葉は心の声に変わっていた。

 カトリック信者の祖母シホはこんなふうに祈っていたと、チカに説明した後、ナオミは両手を組んで目をつぶった。

 残暑は厳しかったが、天候に恵まれ、旅は充実したものとなった。
 ナオミも父親同様、「晴れ女」なのだ。

 3日目、ナオミとチカは由布院に移動し、祖母の家を訪ねた。

 「おかえりなさい、ナオミちゃん、チカさん」

 シホの満面の笑みで迎えられて、チカは喜んだ。
 チカ自身は祖父母との縁が薄かった。両親の故郷を訪ねることもほとんどなかったからだ。

 シホの手料理で昼食を済ませ、午後は3人で出かけた。

 「由布院と言えば、やはり温泉を楽しんでもらわないとね」

 由布院の街をしばらく散策し、湯に漬かった後、シホはナオミが大学卒業報告で3月に訪れた時と同じお店に案内した。ナオミが気に入ってくれた場所だったからである。

 「チカさん、由布院の印象はどうかしら?」

 「初めて来た場所ですけど、何か懐かしい気がします。すごくいい所ですね」

 「そう? ナオミと仲良くしてくださってありがとうね。二人を見ていると姉妹のようだわ。
 ここはナオミの母親の故郷なのよ。きっと、ナオミからも故郷の香りを感じていたのね。だからチカさんも懐かしく感じてくれたんじゃないかしら。
 これからは“チカちゃん”と呼んでいい?」

 「ええ、もちろんです! うれしいです。私もシホさんの孫娘に加えてください」

 チカは心から喜んだ。シホから伝わってくる敬虔(けいけん)なクリスチャンの凛(りん)とした空気がチカの気分を高揚させていた。

 ナオミとチカは交互に長崎と熊本の旅の記憶を振り返った。

 ナオミはチカと同じ物を見、同じ物を食べながら過ごした時間が楽しかったと笑顔が絶えなかった。

 チカはナオミが日本の歴史やキリスト教に詳しいことに驚いたと語った。

 「今まで日本の歴史のことも、宗教のこともほとんど関心を持たずに生きてきました。でも、この3日間を通して、ナオミの話を聞いて、歴史ってすごく面白いなって思えたし、宗教を信じることや信仰を持つことが貴いものなんだなって考えるようになりました。
 ナオミが信仰を持った家庭で生まれ育ったことも聞きましたし、シホさんのこともナオミから聞いています」

 少し間をおいてチカは続けて話し出す。

 「私は典型的な無宗教の家庭で育ちました。不自由を感じたことはありませんし、共働きの両親はいつも仕事が忙しくて、弟が一人いますけど、家族で仲良くって雰囲気はあまりなかったんです。
 でも、大学の時にナオミと知り合って、最初はちょっと自分とは違うタイプだなって思ってたけど、いつも家族と一緒に生きているナオミの生き方っていうか、人生観に触れて、そんな生き方もいいなって思うようになったんです。
 ナオミのお母さんはナオミが小さい頃に病気で亡くなったと聞きました。でもナオミは全然寂しそうじゃなくて、お母さんがいつも一緒にいるみたいな雰囲気だったし、正直、うらやましいなって思っていました」

 「そうなの。でもチカちゃんと一緒にいると優しいお母さまと責任感のあるお父さまが愛情深くお育てになったと感じるわ」

 「ありがとうございます。シホさんに言われたら、そうなんだなって思えます。両親のことをそんなふうに言ってくださって、うれしいです」

 「ねえ、おばあちゃん。チカに信仰の証しをしてあげてよ。おばあちゃんがなぜキリスト教の信仰を持つようになったのかとか、娘が家庭連合の信仰を持つようになった時の葛藤とか…」

 「あら? そんなお話、していいの? チカちゃん、退屈しないかしら」

 「いえ、シホさん、大丈夫です。先月はナオミのお父さんと3人で山登りして、お父さんからもいろんなお話を伺いました。すごく楽しかったです。
 シホさんのお話もたくさん聞きたいです。宗教のお話とか、信仰のこと、私はよく分かっていませんけど、ナオミからもしょっちゅう『生きる意味を持つべきだ』って言われていて、自分でも最近、そうだなって思ってるんです。人生、何のために生きるのかなって、考えることもあるんですよ」

 チカはシホの顔を真っすぐ見つめて瞳を輝かせた。

 ナオミはそんなチカの横顔に温かなまなざしを向けている。

 「そうねえ。ちょっと長い話になるかもしれないわよ…」

 シホは一口お茶を口に含むと、次世代を担う二人の若い女性に向かって語り始めた。


登場人物

●柴野高志(タカシ):カオリの夫、ナオミの父
●柴野香里(カオリ):タカシの妻、ナオミの母、ナオミが6歳の時に病死
●柴野直実(ナオミ):タカシとカオリの一人娘
●柴野哲朗(テツオ):タカシの父、ナオミの祖父
●柴野辰子(タツコ):タカシの母、ナオミの祖母
●宮田周作(シュウサク):カオリの父、ナオミの祖父、ナオミが14歳の時に病死
●宮田志穂(シホ):カオリの母、ナオミの祖母
●川島知佳(チカ):ナオミの親友、大学時代にナオミと出会う

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 次回もお楽しみに!

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