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心をのばす子育て 50

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「心をのばす子育て」を毎週土曜日配信(予定)でお届けします。
 子育ての本質を理解し、個性に合わせた教育で幸せな家庭を築くための教材としてぜひお読みください。

長瀬雅・著

(光言社・刊『心をのばす子育て7つのポイント』〈2002210日第2版発行〉より)

6、意の教育

■社会性

●他のために生きる(ボランティア)
 「公的精神」ともう一つ必要な思想が「他のために生きる」という生き方です。別の言い方をすると「ボランティア精神」です。
 昔のことわざの中に「情けは人のためならず」というものがあります。最近その意味が誤解されていますが、これは、人に情けをかけるのは回り回って自分に返ってくるから自分のためでもある、だから人には情けをかけなさいという教えです。また、自分がみんなのために生きる社会の中では、逆にみんなが自分のためにしてくれるということです。

 人間関係というものは、与えたものが返ってきます。人は受けたものを返すのです。優しくされたらその人に優しくしますし、嫌味を言われたら嫌味を言い返します。あなたが周りの人のために生きたら、次は周りの人があなたのために生きてくれます。

 青少年期の友達との関係は好きな人との関係です。ところが社会に出れば好きな人だけとつきあうというわけにはいきません。いろいろなタイプの人と協力しながら仕事をするのです。その中には自分と合わない人もいるでしょう。いろいろな人と協力するという意識が社会性なのです。
 みんなで協力するときは自分の都合ばかり言うわけにはいきません。我慢しなければなりませんし、逆にみんなのために犠牲になることもあります。「他のために生きる」ためには、「犠牲と奉仕の精神」が必要です。

 この「他のために生きる」という精神を身につけるにも、具体的な体験が一番です。
 「ボランティア体験」です。できれば、高校時代にアルバイトやボランティアなどをしながら社会に参加するという体験が必要です。そのボランティアも国際化の時代を考えれば「海外ボランティア」のようなものが最適です。

 アメリカやヨーロッパの青年はボランティアをよくやります。イギリスの故ダイアナ妃の息子(ウィリアム王子)がボランティアに参加して話題になりました。彼の場合は王族ですから話題になりましたが、西洋の青年はボランティアやアルバイトを誰でもよくやります。そうしながら社会性を育てるのです。
 日本の若者もアルバイトはよくやります。しかし、日本の青年は将来に対する目的観(ビジョン)がないので、アルバイトをしていても単にお金もうけだけになり、社会性はあまり育ちません。

 最近は日本でも、ボランティアを教育カリキュラムに入れようという議論がされるようになりました。それは大きな進歩だと思います。ただ、問題はその内容です。社会性や人間性を育てるには、体験実践と同時に思想がなければあまり意味がありません。この思想は一つの価値観ですから、学校で教えるには限界があるでしょう。足らない部分は親が教育しないといけないでしょう。家庭でやらなくてはいけない教育の部分です。

 若い時期に要求されるのは、深さではなく、広さ大きさです。情の深みは結婚して子供を生んで育てていく中で身についていくものです。独身時代は未来と世界を見つめて、夢や目的をもって主体的に生きる大きな人間に育てたいものです。
 「社会性」とか「他のために生きる」と言うと、どうしても戦時中の「国のため」というイメージが頭に浮かびます。スポーツでも、昔の日本では何でも国のためという意識が強すぎて、マラソンの円谷選手のように重圧で自殺した選手もいました。その反動から、「自分のため」という意識が強くなりました。逆に最近はその意識が強くなり過ぎました。

 何でも自分のためだけでは人間が育ちません。勉強も自分のためだったら、自分が嫌だったらやめてもいいという発想になります。苦しいことを嫌がる生き方になってしまうのです。個人と社会の関係は両方とも必要なのです。そのバランスに気をつければよいのです。
 かつての日本は個人という意識が少なすぎたのが問題でした。そして、現代は社会性がほとんどないのが問題なのです。個と全体のバランスが大切です。

 人間は生きていく時に「生きがい」を求めます。この生きがいとは何でしょうか。
 人間の欲望には大きく分けて「物」と「体」と「頭」と「心」の四つがあります。福祉を考える時もこの四つを考えなければなりません。
 第一段階は物(物質面)です。年金とか医療費の充実です。第二段階は体です。スポーツや旅行の充実や健康です。第三段階は頭です。市民大学、趣味などの充実です。第四段階が心の充実です。第三段階までは自分のための喜びなのですが、第四段階は人を喜ばせること、人の役に立つことによって得られる充実感なのです。人間は人生の最後に、自分の人生が価値あるものであったかどうかを気にします。

 昔、「窓際族」という言葉がありました。ほとんど仕事もなく、座っているだけなのに給料はしっかりともらえる、こんな楽なことはありません。確かに楽かもしれませんが、誰も窓際族になろうとは思いません。それはその仕事に価値を感じないうえ、誰も認めてくれないからです。まさに生きがいのない状態なのです。

 人間は常に人から認められることを求めています。福祉についても、老人に生きがいのある社会をつくらなければなりません。それは老人が役立つことのできる社会です。
 昔は、おばあちゃんの智恵みたいなものがありました。天候、昔の伝統、習慣など、いろいろ教えてくれたのです。
 しかし、現代は天気予報がありますし、情報は本を読めば手に入るので、お年寄りに聞かなくてもすんでしまいます。お年寄りの存在価値がなくなってきたのです。

 自分の人生が価値ある人生かどうかという生きがいは、基本的には自分が感じるものです。しかし、それは人から認められ、必要とされることが不可欠です。
 例えば、ここに水と時計があります。水と時計のどちらに価値があるでしょうか。例えば「あなたの時計とこの水を交換しませんか」と今尋ねても、誰も交換しないでしょう。ということは、今は時計のほうに価値があるのです。ところが砂漠の真ん中へ行って死にそうな時には、時計と水を換えます。このように水と時計の価値は単独では決まらないものなのです。自分にとって必要かどうかで価値が変わってくるのです。

 人間もそうです。個人的に大きな能力をもっていることは価値あることですが、人から必要とされなければ無価値です。必要のない人にとってはどんな貴重品も価値がないのです。どんなに素晴らしいテニスラケットでも、テニスをしない人には価値がないのと同じです。
 人から必要とされて、認められてこそ価値が生まれてくるのです。そのためには「ために生きる」という生き方をすることです。

 家族から必要とされるためには家庭のために生き、会社から必要とされるには会社のために生き、社会から必要とされるためには社会のために生きなければなりません。
 自分のためだけに生きたら、人からは必要とされません。それは一時的には利益も出るかもしれませんが、最終的にはむなしい人生となるでしょう。この「ために生きる」という社会性を子供に教えなければなりません。

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 次回は、「相互依存」をお届けします。