2024.08.03 22:00
ほぼ5分で読める統一運動 12
第2次世界大戦後のキリスト教を中心とする再臨摂理
稲森 一郎
第2次世界大戦終了後の統一運動のポイントは、再臨主とキリスト教の一体化にあります。
文鮮明(ムン・ソンミョン)師は、以下のように述べています。
「解放直後は軍政時代でした。主権を立てようとすれば、三年の期間がなければなりませんでした。政府樹立が一九四八年なので、解放直後より三年間の緩衝期間があったのです。この期間にキリスト教と統一教会が連合して復興しなければなりませんでした。
第二イスラエル圏は、第一イスラエルの基盤の上に立たなければならないのです。キリスト教の代表国、第二イスラエル国であるアメリカを中心として、韓国の独立がなされたのです。そうして、第二イスラエル圏の独立したその基盤で、第一、第二イスラエルを収拾して、その上に立つべきなのが韓国独立であり、韓国の情勢だったのです。そうであったのにキリスト教が反対してきたのです。
統一教会を中心として、キリスト教が歓迎し、韓国が歓迎していたならば、どのようになったでしょうか。瞬く間に、およそ七年の路程で、新教のアメリカを吸収できたのです。七年路程を中心として一九五二年に世界史的な出発ができたならば、先生が四十歳にさえなれば、世界のいかなる為政者も一つにまとめて、一つの方向に向かって、地上天国の理念に移されていったというのが全般的な摂理観なのです。
今までキリスト教が四千年の歴史を通して、世界的版図、統一圏をつくってきたのです。キリスト教が先生に侍って一つになったならば、世界が統一天下になったのです」(『真の御父母様の生涯路程②』61~62ページ)
しかし、それができなかったので、文師は北朝鮮で蕩減復帰の道(興南監獄での十字架路程)を歩まれます。
国連軍によって救出された文師は、わずかな弟子と共に南下(平壌⇒ソウル⇒釜山⇒大邱⇒ソウル)され、釜山(1951~53)から大邱(1953)へ、そしてソウル(1953~)へと伝道活動の場を移していかれました。
1954年の世界基督教統一神霊協会創立とともに、摂理の主流は、キリスト教の一世圏から二世圏に移されました。大学において、学生たちを中心に「統一原理」が伝播(でんぱ)し始めたのです。
その中で、梨花女子大学と延世大学は、キリスト教系の学校として、二世の典型的な代表格でした。
文師はこのように語っています。
「キリスト教は、再び来られる新郎の前に、新婦一人を準備するために、ローマ(帝国時代)から数多くの迫害を受けてきました。このような歴史を経て、初めてキリスト教文化圏時代に新郎が来て、統一天下を築こうとしたのです。それが、第二次世界大戦の時です。…
第二次世界大戦で、連合国であるイギリス、アメリカ、フランスが、枢軸国である日本、ドイツ、イタリアと戦って勝利しました。そのような勝利的基盤の上に、エバ国家とカイン国家とアベル国家が、来られる再臨主を迎えなければなりません。その時に再臨主を迎えていれば、この世界は統一天下をつくり上げていたはずです。お父様に会わなければならなかったということです。…
しかし、お父様を迎えることができなかったので、梨花女子大・延世大事件が起きました。延世大と梨花女子大、これは(キリスト教における)二世の男性と女性の最高の代表でした。そこでみ旨が成就していたならば、この国のすべての組織の中心になっていたでしょう」(『真の父母経』765ページ)
これを読むと、キリスト教の一世たちが失敗したのでキリスト教の二世たち(大学生)へと摂理が移されたことが分かります。