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ダンベリー精神 3

 このシリーズでは、真のお父様のダンベリー連邦刑務所(米国コネチカット州)収監(1984年7月20日)から40年を迎えて、「ダンベリー精神」とは何だったのかを振り返ります。(一部、編集部が加筆・修正)

 今回は、真のお父様の有罪判決に抗議して立ち上がった宗教指導者たちの訴えと、ダンベリー収監の前日(719日)に語られた真のお父様の声明を紹介します。

文師への差別は、神への差別である

 1984514日に米連邦最高裁が真のお父様の上告申請を棄却したことを受けて、米国の宗教界が立ち上がりました。12000万の信徒を擁する40以上の宗教団体が、文鮮明(ムン・ソンミョン)師支持を表明したのです。

 支持表明となった背景には、①文師が宗教家であることを無視された ②国際共産主義者たちの政治的陰謀がある ③文師に対する人種差別と宗教偏見が行われた、などが判明したことにあります。

 530日、米国ワシントンD.C.で、60教派500人を超す宗教指導者が集まって「信教の自由大会」が開かれました。

 会場には「われわれは信教の自由を要求する」「米国よ、目覚めよ」「われわれの伝統を思い出せ」「文師に自由を」と書かれたプラカードが掲げられました。

▲「信教の自由大会」(1984年5月30日、ワシントンD.C.)

 大会の共同議長を務めたファミリー・ライフセンターのティム・ラヘイ会長は、「米国の建国の父たちは憲法によって、あらゆる教派の存在を許したが、その信教の自由が文師の有罪で、重大な危機にひんしている」と、強い口調で米国政府の宗教介入を非難しました。

 また、同じく共同議長である、南部キリスト教指導者会議のジョセフ・ローリー会長は、「文師に対する人種、あるいは宗教上の差別は、神が差別を受けていることである。創造主はこれを容認できない」と訴えました。

 さらに宗教指導者たちは、「文師が投獄されれば、共に入獄する決意がある」との意志を明らかにし、①文師に同調し、1週間入獄する ②文師が投獄される日を「信教の自由の日」と決める ③「信教の自由の日委員会」を設立し、今後の活動を進める、などの決議を採択しました。

 この大会を皮切りに、以降、全米で同様の大会が次々に開催され、そのうねりは世界中に広がっていきました。

統一教会本部をダンベリーに移す

 このような潮流の中で、ニューヨーク地裁のジェラルド・ゴーテル判事は611日、当初予定されていた618日の収監を32日遅らせて、720日とすることを明らかにしました。

 真のお父様は収監の前日の719日、ニューヨーク・マンハッタンの教会本部で記者会見され、無実を訴えた上で、次のように述べられました。

 「全米の何千名もの牧師たちが、私に対する政府の迫害に反対し、宗教の自由の名にかけて、私と共に1週間入獄するという宣誓をしています。

 1971年、神は私をアメリカへ呼ばれ、キリスト教の信仰の熱情をよみがえらせ、アメリカ建国精神を復興するよう命じられました。無神論と宗教的不寛容という闇の霊がアメリカに見いだされる時代に、神は劇的な精神復興を成し遂げるため、私をアメリカへ送られたのです。

 共産党下の収容所で、私は自ら死にひんするほどの経験をしました。もし、アメリカを霊的な眠りから覚醒させるという神の目的にかなうならば、私はアメリカの監獄に喜んで入るつもりです。

 私は今、世界の統一教会(現・家庭連合)本部をダンベリー刑務所へ移動させ、そこで私はこの国のために祈り、かつ、働くでしょう。

 私は人類歴史上、最も重大な時期に、宗教の自由のための戦いを導き、アメリカの霊的覚醒に火をつけるための道具として、神が私を用いてくださっていることに感謝します。
 アメリカに神の祝福がありますように」

 こうして収監の日(720日)を迎えられたお父様は、イーストガーデンで、出発ぎりぎりの時間までみ言を語られ、集まった教会員たちを励まされました。

 次回はその時のみ言を紹介します。