2024.07.25 17:00
ダンベリー精神 2
このシリーズでは、真のお父様のダンベリー連邦刑務所(米国コネチカット州)収監(1984年7月20日)から40年を迎えて、「ダンベリー精神」とは何だったのかを振り返ります。(一部、編集部が加筆・修正)
真のお父様は1971年に渡米されて以来、アメリカの救いのために投入しておられましたが、不当な裁判によって脱税の罪に問われ、1984年5月に、懲役18カ月と罰金2万5000ドルの判決を受けました。
その後、お父様は、米国上院司法委員会が主催する「宗教の自由に関する公聴会」(1984年6月26日、ワシントン・米国議会上院公聴会室)で声明を発表されました。
お父様はその中で、神の愛するアメリカが精神的に覚醒し、自由のとりでとなるよう訴え、「もしアメリカと世界が生き残り、神の意思を行える保証があるならば、私は喜んで私の生命をささげる意志があります」と揺るぎない決意を表明されました。
今回は、その要旨を紹介します。
「宗教の自由の保護のために働けることを名誉に思います」
「宗教の自由に関する公聴会」における文鮮明師の声明より(要旨)
私の裁判について最高裁が上告を棄却して以来、宗教界の中から極めて強い抗議が示されています。
私はそうした宗教の自由のチャンピオンたちに改めて感謝するとともに、このような証言の機会を極めて歴史的なことと感じています。
私は単にアメリカ議会に向けて話しているのではなく、神の前で、歴史に向けて話しているのです。
アメリカの建国精神回復のために歩んだ12年
1971年、神は私をアメリカに呼ばれ、キリスト教の復興と建国精神の回復のために、運動を起こすよう求められました。
神は私を、医者や消防士の役割を果たさせるためにアメリカに呼ばれました。劇的な精神的覚醒を求められたのです。
全世界が生き残れるかどうかは、アメリカがその責任を全うするかどうかにかかっています。アメリカは自由の最後のとりでなのです。
この12年間、私は身も心も全てささげてアメリカのために尽くしてきました。
こうした使命を完遂する過程で、私は各方面で論議の対象となり、一部の人々から快く思われない人物となりました。そして、迫害されるようになったのです。
しかし、私は決して迫害を受けた最初の宗教指導者ではありません。多くのユダヤ教、キリスト教会の指導者たちも、迫害の道を通ってきています。
今日、私も同じ伝統に従うことを名誉と感じています。
今回の裁判は、最初から税金問題ではなかったのです。これは政府による宗教への内政干渉です。
政府が統一教会(現・家庭連合)を選んだのは、統一教会なら誰も助けにやって来ないだろうと考えたからです。しかしそれは誤算でした。
アメリカ宗教界は、一人が脅迫されれば全員が脅迫されたと受け取り、全員が安全でなければ誰一人も安全ではないと見るのです。
政府がその権力を乱用すれば、その影響は極めて重大です。われわれはこうした動きを、ここで停止させなければなりません。もしそうしなければ、次は誰の番になるでしょうか
神の摂理から見ると、この法廷闘争はアメリカの宗教の自由の立て直しの機会となっています。
私が有罪となったのは、宗教上の信念と活動による以外の何ものでもありません。
私は、(文鮮明〈ムン・ソンミョン〉という)私であるが故に罰せられるのです。これはアメリカの良心にショックを与え、覚醒させることになりました。
多くの宗教指導者および信者たちが怒りで立ち上がっています。彼らは抗議の意を表明しています。
神の意思を行うためなら喜んで生命をささげます
今日の世界で最大の対決は、「神への信仰」対「神の否定」です。
無神論を基礎にする共産世界は、人類の夢の実現に失敗しています。一方、自由世界は物質的になって神を忘れ、世界の深刻な危機に直面し無力です。世界は混乱によって混沌(こんとん)としています。
ここに神を中心とした新しい世界観が現れなければなりません。
私はその世界観を、神の愛の心情を基盤にして教えています。それを「Godism」(神主義)と呼んでいます。これが世界の新しい解決方法となることを、私は宣言します。
神主義は、全ての宗教家および良心家を一つにします。この世界観は、敵国同士にも統一をもたらすでしょう。これは人間精神の真の自由をもたらすものであり、この理想は地上天国実現に向けてわれわれを導くものです。また、この世界観は高次元の思想体系であり、多くの人々を個人的神体験に導いています。
こうした効果は絶大なものがあり、一部から“洗脳”などと非難されるほどです。
これがメディアなどから誤解されてきた理由です。私を敵の頭目と見る共産主義者たちは、こうした誤解を利用し、私を破壊しようと試みています。
こうした困難にもかかわらず、私は今日、こうしてアメリカの宗教の自由の保護のために働けることを名誉に思います。もし、私がアメリカ国民に対し、迫りくる危機を警告するビーコン(信号)の役目を果たせるなら、私の犠牲は大きな目的にかなったものとなるでしょう。
今日の問題は、アメリカと自由世界が生き残れるかどうかという問題です。そのために私は喜んで侮辱を受け、どこへでも出かけ、いかなる労働もいとわず、いかなる十字架をも耐え忍んでいるのです。そしてもしアメリカと世界が生き残り、神の意思を行える保証があるならば、私は喜んで私の生命をささげる意志があります。
今日、私はいかなる人にも憎悪を抱いてはいません。イエス・キリストは十字架につける人々を許し、十字架上で祈った伝統を示しています。私もその伝統を支持し、ずっと以前に私を非難する人々を許しています。
私はアメリカ政府に対し、何の敵意も抱いていません。私はアメリカのために祈っています。そして人類史上最も深刻なこの時代に、神が私を使い、宗教の自由の闘いとアメリカの精神的覚醒を促していることを神に感謝しています。
アメリカに神の祝福がありますように。