https://www.kogensha.jp/shop/detail.php?id=4229

【B-Life『世界家庭』コーナー】
フィリピン便り③
「パソコン事件」

 2010年から2011年まで『トゥデイズ・ワールド ジャパン』に掲載された懐かしのエッセー「ハロハロ フィリピン便り」を、特別にBlessed Lifeでお届けします!

 筆者のトゥパス サチコさんは、3億6千万双のフィリピン・日本家庭です。

※ハロハロとは、タガログ語で「混ぜこぜ」を意味する言葉。フィリピンの代表的なかき氷デザートを指す。

――――――――――――

 私は、フィリピンに来てすぐに現地の教会で、40日間生活をしました。そのときのことです。
 当時、私は、キッチンスタッフや接待などを担当していました。フィリピンの兄弟姉妹たちは、いつも明るく、よく話しかけてきてくれました。これは、私にとって、ありがたいことでした。

 ただ、言葉の限界もあり、何もかも初めてで本当に赤ちゃん状態だったのです。何もできない申し訳ない思いと、孤独でいっぱいでした。

 「私はこの国になぜ来たのか? 何ができるのか?」

 答えは分かっていたものの毎日神様に問いかけざるをえませんでした。

 そんなある日、普段は絶対に持ち出さない自分のパソコンを持って外を歩いていました。

 その時です。後ろからバイクが走ってきました。私の横を走り過ぎたと思ったら、Uターンをして戻ってきたのです。

 「あっ、やばい!!」と思ったのもつかの間、一瞬でパソコンの入ったバッグを取られてしまいました。

 私は「えっ!? はっ? 何? 信じられない! いや、信じたくない!」と、パニック状態。

 私は、真昼にこんなことが起きる国に永住しようとしているのだ……

 私は唯一の楽しみ(パソコン)もなくなって、一人道端で頭に血がのぼり、〝これでもフィリピンを愛せるか? これでも愛せるか???〟と自問自答しながら、「もう知らない、こんな国〜」と、とりあえず、心の中で激しく叫びました。

 それから、どれくらいの時間が過ぎたのだろう……。怒りが落ち着くと、ふと、〝この一瞬の出来事は神様が用意してくれたものだ〟と悟るようになったのです。

 「私がフィリピンの復帰を投げ出したとしても、神様はこの国を見捨てることのできない親なる神様なんだ。私は試された」

 神様が復帰の道をあきらめない限り、〝私もあきらめない〟と、再決意させられたありがたい出来事でした。

▲フィリピンの鶏肉料理

――――――――――――

(この記事は、『トゥデイズ・ワールド ジャパン』2010年10月号に掲載されたものです)