2024.07.23 17:00
シリーズ・「宗教」を読み解く 326
修道院の祈り㉔
中世キリスト教文化の最盛期
ナビゲーター:石丸 志信
托鉢(たくはつ)修道会が生まれ、清貧を旨とする托鉢修道士たちが活躍した13世紀は、新たな改革の息吹を引き入れ、中世キリスト教文化の最盛期を迎えた。
キリスト教史にはこのように描写されている。
「托鉢修道士たちが、新しい司牧的熱情をもって登場し、熱心に説教し、訓戒を与え、告解を聞き、おびただしい志願者を引きつけた。大学は、思索の天才に異常なほど恵まれたこの時代の才能を十分に展開したばかりでなく、かつてないほど人口の増加したこの時代の人びとに、書記官、法律家、あるいは聖職者の基本的な訓練を与えていた。地位の高い人びとの間には、才能と同時に聖性があり、この世紀は、列聖された聖人が非常に多く、その範囲は、二人の王と一人の女王から、字の読めない二人の助修士にまで及んでいる」(『キリスト教史 第四巻 中世キリスト教の発展』M・D・ノウルズ他著 上智大学中世思想研究所編訳/監修 講談社 1981年、348ページ)
このような「中世文化の黄金時代」を形づくる上で、大学の存在が大きな役割を果たした。
宮廷付属学校、修道院付属学校、司教座付属の教会学校などを前身として発展した高等教育機関として、13世紀末にはヨーロッパ諸都市に75以上の大学ができていた。
そこには、必修課程の哲学部と専門職養成のための三学部、すなわち神学部、法学部、医学部があり、神学部が最も権威ある学部となっていく。
大学興隆の気運に乗った托鉢修道会は、聖トマス・アクィナスと聖ボナヴェントゥラらを輩出し、それぞれドミニコ会系とフランシスコ会系の二大学派を形成しながら、彼らによって神学が大成された。
また、ゴシック様式の粋を集めた大聖堂がこの時代を彩った。天にそびえる尖塔(せんとう)は、高度な建築技術に支えられなければ実現しなかった。
デザインにも工夫が凝らされており、キリスト教信仰のイメージがふんだんに盛り込まれた。
大聖堂に入るだけで、造形美の中にキリスト教の世界観を体感できるようになっていた。
聖堂の平面図は、十字架の形をしており、聖堂内の空間は、人びとの視線が地上から天上へと上昇するように仕向けられている。
その窓に取り付けられたステンドグラスには聖書の物語が描かれ、無学な者にも、神の御業(みわざ)とその歴史が読み取れるようになっていた。
その代表が、パリのノートルダム大聖堂やシャルトル大聖堂だ。
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