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ほぼ5分で読める統一運動 10
国連軍16カ国と日本

稲森 一郎

 朝鮮戦争六・二五動乱、1950625日~1953727日)における興南監獄の解放(19501014日未明)は、国連軍によってなされました。

 この事実を、文鮮明(ムン・ソンミョン)師がどれほど神に感謝されていたか、のちのちの説教や講話などで頻繁に語っておられることを思う時に、国連軍はまさに天が送った救援軍であったと見ることができます。

 ウィキペディアの「日本特別掃海隊」の項を読むと、実は日本も国連軍の参加国の一員として朝鮮戦争にひそかに加わっていたことが事実として記されています。

 マッカーサーのGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)は極秘裏に命令を下し、日本の海上保安庁隊員らに、元山港の沖合を中心に機雷除去の掃海作戦を行わせました。
 動員人員は延べ1200人、死者まで出したその作戦は、近年まで歴史の表舞台に出ることなく隠されていました。

 鈴木秀隆氏の論文、『朝鮮海域に出撃した日本特別掃海隊』によると、「1200名の旧海軍軍人が元山、仁川、鎮南浦、群山の掃海に従事して、327キロメートルの水道と607平方キロメートル以上の泊地を掃海し、機雷27個を処分したものの、掃海艇1隻が触雷・沈没し、死者1名重軽傷者18名を出した」と書かれています。

 このような事実があったことを知る時、文鮮明師が収監されていた興南監獄の解放は、米空軍の空からの爆撃攻撃、韓国軍の陸からの進撃、そして日本の掃海部隊の海路による機雷除去の支援の後に、米海兵隊が上陸作戦を決行するという、三つどもえの三位一体作戦によって、見事な戦いぶりが展開していたことが判明します。

 元山の沖合において、機雷除去掃海作戦を極秘裏に行っていた日本の活躍を軽く見ることはできません。

 このように、隠されていた歴史の事実が分かってくると、国連軍16カ国という言い方はともかくとして、実際は、国連軍に加わって参戦した16カ国に加え、マッカーサーの判断のもと、極秘裏に日本も17番目の国として参戦していたということなのです。

 日本特別掃海隊の派遣は、極めて有効な働きを国連軍にもたらしていたのです。

 第2次世界大戦時、日米は太平洋を中心として熾烈(しれつ)な戦いをしました。
 一変して、第2次世界大戦後は、ソ連の共産主義の脅威に対して、日本をアジアの防波堤とする米国の軍事戦略によって、日米は強固な同盟関係へと180度、姿を変えます。
 そこには、現在の日韓米の同盟の原型が朝鮮戦争時においてつくり上げられていった経緯が見られます。

 国連軍は北朝鮮軍と戦っただけでなく、毛沢東が送った北朝鮮への援軍「中国人民義勇軍」とも戦いました。
 しばしば国連軍や韓国軍が苦境に陥ったのも、この中国人民義勇軍の出没と猛攻のためでした。

 従って、戦後の冷戦時代、朝鮮半島38度線における軍事的緊張が、ソ連・中国・北朝鮮の軍事協力体制によって生まれた理由は、当然ながら、米国・日本・韓国の軍事協力体制に対する不可避的対決の帰結であったことは言うまでもありません。

 「38度線」で南北に分断された朝鮮半島。
 この分断がいずれ撤廃され、半島の統一が実現されなければならないことは、南北双方の人々にとって当然のことであると言わざるを得ません。

 文鮮明・韓鶴子(ハン・ハクチャ)夫妻による統一運動は、南北統一を大きなテーマとして掲げています。
 それは、民主・共産の対立の縮図が38度線であり、この対立の解決なくして世界平和は不可能であるからなのです。