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マザー・テレサ(下)

(光言社『中和新聞』vol.520[1999年9月15日号]「歴史に現れた世界の宗教人たち」より)

 『中和新聞』で連載した「歴史に現れた世界の宗教人たち」を毎週木曜日配信(予定)でお届けします。
 世界の宗教人たちのプロフィールやその生涯、現代に及ぼす影響などについて分かりやすく解説します。(一部、編集部が加筆・修正)

疎外された貧者を癒やす
貧しい人々に奉仕する「神の愛の宣教者会」を創設

 マザー・テレサの本名は、アグネス・ゴンジャ・ボアジュ。1910年、旧ユーゴスラビアに生まれました。両親は熱心なカトリック信者でした。

 18歳の時、アグネスはロレッタ修道会に入会するためにアイルランドへと旅立ちました。かねてから望んでいた修道女になりたいと思ったのです。アグネスはアイルランドに3か月とどまり、1929年にインドのカルカッタに派遣されました。そして「テレサ」という修道名を与えられました。シスター・テレサの誕生です。

 テレサは、カルカッタのロレッタ修道院の敷地内にある聖マリア高等学校で地理と歴史を教えました。やがて熱心な教育と信仰が認められ校長になりますが、このころからテレサの葛藤が始まりました。聖マリア高等学校の生徒は、ほとんどが金持ちや役人など裕福な家の子供たちでした。しかし修道院の塀の外には、食べる物もなく道に倒れている人や、ごみ箱に捨てられた赤ん坊、ハンセン病患者など、多くの人の苦しむ姿があったのです。

 テレサが読んだ聖書の一節は、彼女自身に語りかけているとしか思えないものでした。

 「あなたがたによく言っておく。わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである」(マタイ2540

 1946年のある夜、テレサはダージリンに向かう汽車の中で、祈りのうちに「自分はロレッタ修道院を去って、貧しい人々のただ中に住み、その人々の手助けに一生をささげなければならない」と感じたのでした。

 しかしテレサほどの人物であっても、修道院を去るのは簡単なことではありませんでした。「ロレッタを捨てることは、最初、修道院に入るために家族のもとを去った時以上に、私にとってはつらいことでした。でも決行しなければなりませんでした。神からのお召しだったからです」

 ロレッタを去って間もなく、かつての高等学校の教え子たちが、テレサの仕事を手伝いたいと集まってきました。こうして1950年、「神の愛の宣教者会」という新しい修道会が発足されました。この時から創設者として、「マザー・テレサ」と呼ばれるようになったのです。

 「神の愛の宣教者会」の一日は、早朝4時のミサで始まります。シスターたちの持ち物は、聖書、キリスト教理など数冊の本、洗濯用のバケツ、3枚のサリー、これがすべてです。しかし質素な生活であっても、彼女たちの顔は喜びに輝いていました。

 マザーたちの仕事ぶりを見て、貧しい人々に奉仕するグループが、次から次へとできていきました。「神の愛の宣教者会」の男子修道会もその一つです。そして修道士や修道女に続いて奉仕しようとする一般信徒の数も増えてきました。彼らは「マザー・テレサのヘルパーズ」と名づけられました。

 「人間にとって一番悲しいことは病気でも貧乏でもなく、自分はいらない人間だと思うことです。そして最大の罪は、そういう人に対する愛が足りないことなのです」と語るマザー・テレサ。彼女は身をもってその愛を示しながら、199795日、永遠の眠りに就きました。

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 次回は、「マルティン・ルター(上)」をお届けします。