2024.07.09 22:00
小説・お父さんのまなざし
徳永 誠
父と娘の愛と成長の物語。
誰もが幸せに生きていきたい…。だから人は誰かのために生きようとします。
第28話「生きる意味」
3月も終わりの頃、北上する桜の開花前線の動きと逆行するように私とナオミは日本列島を南に向かっていた。
大分県由布市で暮らすナオミの祖母シホに、孫娘の大学卒業の報告をするためだ。
シホの家から見渡すことのできる由布岳は、8年前、当時中学2年だったナオミと一緒に巡礼登山をした時と変わらぬ雄姿を見せていた。
一方、8年の月日はナオミに成長と変化をもたらした。
「おばあちゃん、ただいま!」
ナオミの弾んだ声は、シホにとって最高の土産だ。孫娘の声は祖母に慰労と喜びと元気をもたらす。シホの心が溶かされる瞬間でもある。
「お帰り、ナオミちゃん。お帰りなさい、タカシさん」
シホの目には、それを見守る亡夫シュウサクとカオリの姿も映っているはずだ。
今回は二泊の短い旅だ。
明日はシュウサクの墓を訪ね、ナオミの大学卒業を報告する。そして一日シホとゆっくり過ごすのが旅の目的である。
とはいえ、年度末の忙しい時期だ。3日目の午後には東京に戻らなければならない。
「タカシさん、せっかくだから温泉に浸かって疲れを取っていってくださいね。明日の夕食は温泉旅館のお店を予約してあるのよ。そこでナオミちゃんの大学卒業を改めてお祝いしましょうね」
シホは私たちの小さな旅のプランをしっかりと受け止めてくれていた。
シホは私の顔をまじまじと見つめながら、「ナオミちゃんのこと、男手一つで本当によく育ててくれたわ。お疲れさまでしたね」と柔らかな両手で私の右手を包んだ。
「いえ、とんでもないです。お義母さんたちのおかげです。私たち父娘(おやこ)を見守り、支えてくださって本当にありがとうございます」
それは決して社交辞令の言葉などではなかった。祖父母たちの支えがあったからこそ、私たちはやってこられたのである。
翌日、朝食を済ませ、私たちはシュウサクの墓を訪ねた。
花を供えて、手を合わせる。
私たち父娘を見守っていたシホが「この後、案内したい所がある」と言う。
「ナオミちゃんに見せておきたい場所があるのよ」
シホは、すでに心に決めていたことを忠実に実行するようにタクシーを拾うと、運転手に「キリシタン墓地まで」と告げた。
「ごめんなさいね。お墓参りが続いちゃうけど、一度案内したかったのよ、湯布院のキリシタン墓地にね」
10分ほどで目的地に到着した。
シホは運転手に待機してほしい旨を伝えて、私たちをその場所に徒歩で導いた。
山道の奥に向かってしばらく進むと、山の斜面に墓地が現れた。足場の悪い階段を上ると右手に「キリシタン墓地」の道標が、左奥には説明版が立っていた。
説明版には、以下の内容が記されている。
大分県指定有形文化財
昭和三十五年三月二十二日指定
由布院(峯先)のキリシタン墓群
当地のキリシタンは、約四一〇年前の天正八年(西暦一五八〇年)湯布院郷士の一人、奴留湯(ヌルユ)左馬介が部下とともに洗礼を受けたことにはじまる。
その翌年には伝導所が設置され、天正十四年には立派な教会堂が建てられ、領主フランシスコ大友宗麟の庇護もあり、信者は一五〇〇人とも二〇〇〇人とも言われた。しかし、徳川幕府の禁教により慶長十九年(西暦一六一四年)以降、きびしい「宗門改め」が行われ、キリシタンは一応終えんしたが、いわゆる隠れキリシタンとなった者も多くいた。
歴史を物語るように町内には、多くのキリシタン墓があるが、一番多いのがこの並柳・峯先墓地で、十字章のあるもの三十基、隠れキリシタンのものと見られるもの約四十基があり、苔むした墓に昔の面影が偲ばれる。
湯布院町教育委員会
時計の針が止まった。そこには400年以上も昔の静寂が当時のまま流れていた。
苔(こけ)むした墓石ばかりでなく、その場所を包む空気そのものが保冷材のようにキリシタン殉教の歴史を保存している。
仏式の墓標の間に小さな十字墓が点在する。
伏墓は隠れキリシタンのものだ。そして仏式の墓であっても、そこには隠れキリシタンたちが眠っている。
シホは「ここがキリシタン墓地よ。私がいつかナオミちゃんに見せたいと思っていた場所」と言うだけで、その歴史の詳細を語ることも、解説を加えることもしなかった。
ナオミはシホの手を引きながら歩いた。高齢のシホが軽々と歩ける場所ではなかったからだ。
この場所から何かを感じ取ってほしい、時折私たちに向けるシホのまなざしはそう訴えていた。
私たちは400年の時を超えた巡礼の旅の中にあるのだ。
祈りの時間を過ごし、待たせてあったタクシーが見えてきた時、時計の針は再び現代の時を刻み始めた。
シホが用意してくれた美しい景色に囲まれた卒業祝いの席は、春風と花の香りに満たされる中で、ナオミの笑顔をいっそう輝かせた。
「うわ~、おばあちゃん、ありがとう。すてきな所だね。お料理も完璧。日本料理は目で食べるって本当だね」
「ナオミちゃん、そう言ってくれてうれしいわ。たくさん食べてちょうだいね。ナオミちゃんの新しい出発を心からお祝いしたいの」
「ありがとう、おばあちゃん。
…ところで、おばあちゃん? 今日はどうしてキリシタン墓地に案内してくれたの?」
「ああ、そうね…。ちゃんと理由を説明しておくべきよね。
ナオミちゃんは江戸時代のキリシタン弾圧の話は知っているでしょ?」
「うん、本で読んだことがあるわ。
中学生の時、おばあちゃんが『塩狩峠』の本を買ってくれたことがあったでしょ? すごく感動して、その後、三浦綾子さんの小説は何冊も読んだわ。
それから日本のキリスト教の歴史に興味を持つようになって、遠藤周作の小説を読むようになったの。大学1年の時に読んだ『沈黙』には衝撃を受けたわ」
シホはナオミの目を真っすぐ見つめながら聞いていた。
「ナオミちゃん、信仰はなぜ大切だと思う?
おばあちゃんはね。宗教や信仰を持つことは、人間が生きる意味を見いだすために不可欠のものだと考えているの。
生きる意味を見いだしてこそ、人は生きようとする。生きる意味が人間を人間たらしめているんじゃないかしら。
日本のキリシタン弾圧の真の恐ろしさはそのような信仰を棄(す)てさせるところにあったと思うの。
沈黙する神の前にあっても生きる意味を決して手放さないキリシタンたち。そのキリシタンたちを生かさず殺さず、棄教させることこそが最大の罰であると為政者たちは考えたの。強制棄教は人が人の尊厳を奪うこと以外の何ものでもないわ。
分かるかしら…」
シホはかつて家族に棄教を迫られたことがある。肉体の苦痛や命の危険が伴うものではなかったとしても、人生の意味を失うことは霊的な生命の死を意味するものであった。信仰者にとって棄教は最大の苦痛を受けるものとなるのだ。
「ナオミちゃんには生きる意味を持って人生を生きていってほしいの。
信仰は強要されるものでも押し付けられるものでもないわ。自分自身がどう生きたいのか、何のために生きるのかは自ら決めるものだとおばあちゃんは思うの。
でも、生きる意味を持ててこそ、人は真に幸福な人生を生きられるんじゃないかしら」
シホは、キリシタン墓地を見せることで、信仰を持って生きることの意味をナオミに教えたかったのだ。
そして同時に、人間の最も大切な尊厳を奪おうとする恐ろしい所業が、日本の歴史の中に存在したことを伝えたかったのかもしれない。
時折、窓の外の夜景に目をやりながら、シホは自らの人生を振り返る。
ナオミにまなざしを戻すシホ。そしてまなざしを返すナオミ。その純粋なほほ笑みの中に、シホは生きることの意味を見いだしていた。
【登場人物】
●柴野高志(タカシ):カオリの夫、ナオミの父
●柴野香里(カオリ):タカシの妻、ナオミの母、ナオミが6歳の時に病死
●柴野直実(ナオミ):タカシとカオリの一人娘
●柴野哲朗(テツオ):タカシの父、ナオミの祖父
●柴野辰子(タツコ):タカシの母、ナオミの祖母
●宮田周作(シュウサク):カオリの父、ナオミの祖父、ナオミが14歳の時に病死
●宮田志穂(シホ):カオリの母、ナオミの祖母
●川島知佳(チカ):ナオミの親友、大学時代にナオミと出会う
---
次回もお楽しみに!