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小説・お父さんのまなざし

徳永 誠

 父と娘の愛と成長の物語。
 誰もが幸せに生きていきたい…。だから人は誰かのために生きようとします。

第27話「贈る言葉」

 ナオミは大学の卒業式に家族皆と一緒に参加したいと願ったが、それはかなわなかった。
 遠方に暮らす高齢の祖父母たちにとって、卒業式が行われる東京の会場は、気軽に足を運べる距離ではなくなっていたからだ。

 「お父さん、卒業式が終わったら、二人で青森と大分に旅行しない?」

 ナオミは大学卒業という節目を迎えられたことを祖父母たちに直接報告したかった。膝を突き合わせて喜びを分かち合いたかったのだ。

 「そうだな。ナオミはおじいちゃんやおばあちゃんたちに育ててもらったようなものだ。卒業証書を見せて、卒業式の様子も伝えて、独立宣言でもしてくるか」

 ナオミと祖父母とのやりとりは電話でも明るくフレンドリーだ。
 「ハロー、おじいちゃん、愛してる~」「ハロー、おばあちゃん、愛してる~」とナオミが呼びかければ、祖父母も「ハロー、ナオミ、愛している」と返す。

 なぜ「ハロー」なのかは分からないが、孫娘のこのフレーズが受話器の向こうから飛び込んでくると、祖父母たちのオキシトシンやらセロトニンやら、幸せホルモンの分泌が無条件に促進されるらしい。
 孫を持ってみて初めて知ることのできる境地なのかもしれない。

 「俺はいい孫を持って幸せだ。おまえはナオミをよく育てた」と父が悦に入る。
 「いやいや、おやじとおふくろのおかげだよ」と、私は親孝行な息子となる。
 本当に両親に対しては感謝の心しかないのだ。

 ナオミの存在が祖父母たちにどれほど力を与えているか計り知れない。

 善は急げと、ナオミはすぐに祖父母たちに電話した。
 「ハロー、愛してる~」のあいさつの次には、祖父母たちの健康チェックをしっかり行う。要件を分かりやすく伝えて、ナオミはサクサクとスケジューリングに入る。

 世代間のギャップを感じさせないナオミのコミュニケーション力は大したものだ。
 ナオミの心はいつも真っすぐだ。家族愛のナビは常に最短ルートを選ぶ。

 こういう時に役に立たないのが息子の私だ。
 気を付けてはいても、どうも親に対してはぶっきらぼうになってしまう。
 一方で、義理の母にはいまだに回りくどい言い方になってしまうことが多い。いつも義母には心の距離を感じさせてしまうのだ。

 ナオミと私は青森と大分の順で訪ねることに決めた。
 祖父母たちは孫娘の卒業報告の帰郷を心から歓迎した。

 旅の計画を練る時のナオミの姿は楽しそうだ。こちらまでウキウキしてくる。

 Life is like a journey.

 人生もまた、旅のようなものだ。
 ナオミには、周りの人々に喜びを与える人生を生きてほしい。

 青森の家に到着したのは午後の5時前だったが、すでに祝いの膳はテーブルいっぱいに整えられていた。
 共に80歳を越えた両親は孫娘との再会に相好を崩す。

 幼くして母親と死に別れた孫をふびんに思い、孫が中学を卒業するまで同居し、苦楽を共にしてくれた両親であった。

 学校が夏休みに入ると、両親はナオミを連れて青森に戻った。
 小学生の頃のナオミは、夏休みを祖父母の家で過ごすのが年中行事となった。祖父母と過ごす北東北(きたとうほく)の田舎での夏がナオミにとって夏の原風景となった。

 「ナオミ、青森には有名な縄文遺跡がいくつもあるのを知ってるだろう?」

 ナオミの卒業報告夕食会を終えた夜、祖父テツオは大学卒業の記念に縄文遺跡を見にいこうと、ナオミを誘った。

 青森は縄文時代の遺跡が多く発掘されている。
 大平山元遺跡、田小屋野貝塚、亀ヶ岡石器時代遺跡、三内丸山遺跡、大森勝山遺跡、小牧野遺跡、二ツ森貝塚、長七谷地貝塚、是川石器時代遺跡といった具合に、青森はたくさんの縄文遺跡群を有する県なのだ。

 小学生だった頃、やはりテツオに連れられてナオミはいくつかの縄文遺跡を訪ねているが、当時の「縄文」は、ナオミにとってそれほど興味の対象にはならなかった。

 「いいよ、おじいちゃん。おじいちゃんやおばあちゃんが行きたい所に一緒に行こう」

 「ナオミにとって節目の時だからな。縄文遺跡を見ながら、改めて生まれ育った日本という国の歴史を考えてみるのもいいものだぞ」と、テツオは神妙な面持ちでナオミに語った。

 翌日、テツオとタツコ、そしてナオミと私の4人で、縄文遺跡群を訪ねる小さな旅が始まった。
 最初に家から一番近い八戸市の是川遺跡に行き、さらにそこから北西へ80kmほど離れた青森市の三内丸山遺跡を訪ねた。

 大学の4年間を通じてナオミはいくつかの外国を旅行している。主に国際協力を目的とする海外渡航であったが、異国を訪ねることは必然的に異文化と遭遇することになった。

 国際交流は異文化交流でもある。異文化への関心が高まれば高まるほど、他国と自国を比較するようにもなる。
 共通点を見いだすこともあるが、異なる点に気付かされることも少なくなかった。

 そのことは母国である日本の文化の再発見を意味した。自文化への再認識の積み重ねは、自分が日本人であることを強く自覚することにもつながった。

 ナオミは海外体験を通じて国際人としての意識を強く持つと共に、自分が日本人であることもまた、深く意識するようになっていったのである。

 是川縄文館では、国宝の「合掌土偶」も鑑賞した。数千年前のものとされる赤い漆塗りの鉢も印象的だった。
 展示された出土遺物の数々は、高い工芸技術や深い精神世界を感じさせるものだった。

 三内丸山遺跡は、最盛期には500人もの人々が暮らし、約1700年も続いたといわれている縄文時代最大規模の集落跡である。

 縄文時遊館を通って三内丸山遺跡に向かうその道は、5千年以上もの時を超えた異次元の世界へいざなう参道のようであった。

 神社を参拝する時と同じ空気を肌に感じながらしばらく進んでいくと、右手にパッと縄文ワールドが広がる。一瞬にして「縄文時代=野蛮な原始時代」のイメージが雲散霧消する風景だ。

 集落の規模の広さ、発掘された無数の遺物。復元された大型の竪穴式の建物や、巨大な六本の掘立柱の建造物のスケールに圧倒される。
 そこに見られる高度な技術からは、成熟した文化を持った社会の存在感が伝わってくる。それを「縄文王国」「縄文文明」と呼ぶ人もいる。

 12千年以上も続いたといわれる縄文時代。近年、発掘・調査・研究が進み、国際的にも注目が集まり、国内外の「縄文」なるものへの評価と関心が高まっていた。

 「ナオミ。おじいちゃんはね、東日本大震災の後、以前にも増して縄文に関心を持つようになったんだよ」

 「え? どうして?」

 「被災した日本の人々が見せた振る舞いが世界の人々を驚かせたことはナオミも知っているだろう?
 どんなに厳しい状況にあってもパニックに陥らず社会秩序を守る姿、辛抱強く整然と助け合う姿がそこにはあった。
 地獄絵図のような状況にあっても、強盗も収奪も発生しなかった。
 被災地に支援の手を差し伸べる全体的な連帯にも世界の人々は驚嘆したんだよ」

 「確かに…。私も日本人ってすごいなって思った」とナオミは返す。

 「ナオミ、世界の人々は日本人の何に共感したんだと思う?」

 「…日本人が見せた我慢強さ? 互助の精神とか…」

 「そうだ。非常事態の混乱の中にあっても冷静さを保ち、忍耐強く事に当たる姿、互いを思いやる心、協調性、社会秩序を守る姿…。そういったところに共感したんだな。
 日本人の私も、改めて日本人の底力を見た思いだった。真の日本人というものの姿を再発見したと感じたんだ。
 つらい思いが簡単に消えるわけではないが、日本の人々の生き方というものに、おじいちゃんも勇気や力をもらったんだよ」

 「…ひと言でいえば、和の精神ってことかなあ」

 「そのとおりだ。和の精神だよ、ナオミ。よく分かっているじゃないか。
 ナオミは和の精神の源流はどこにあると思う?」

 「う~ん、飛鳥時代の聖徳太子とか? “和を以て貴しと為す”、十七条の憲法の最初の言葉…」

 「確かに文献史料としてはそうかもしれない。しかしDNAレベルで考えれば、和の精神というのは、もっと長い時間をかけて育まれてきた日本列島の人々の心のありようとしての精神性なんじゃないかと思うんだ。つまり、長く続いた縄文の月日の積み重ねがあってこそ形作られてきたものじゃないかとね」

 「すごいね、おじいちゃん。日本人の底力、和の源流は縄文にあり、ってことだね」

 「そうだな。日本人を歴史的に理解する上で、弥生時代以降の3千年の歴史の前に1万年以上も続いた縄文と呼ばれる時代があったことは無視できない」

 「おじいちゃん、歴史の先生みたいだね。おじいちゃんのお話、説得力あるよ」

 「そうかい。…まあ、ナオミには、国際社会の中にあっても、和の精神を忘れないで生きていってほしいんだよ。
 おじいちゃんは、縄文時代の人々が残した文化を苗床として育まれた和の精神には、世界のさまざまな問題を解決できる可能性があると考えている。縄文スピリットは世界に通ず、ってとこだな」

 「そっかあ。それで私に大学卒業の記念に縄文遺跡群を見せてくれたんだね?」

 「もちろん、それぞれの国にそれぞれの国なりの良さ、素晴らしさがある。
 しかしナオミもおじいちゃんも、縁あって日本に生まれ、日本に育ててもらったんだ。日本のことをよく知って、何百代ものつながりの中で日本という国をつくってきた先祖たちに感謝しないとな。
 そりゃ、歴史にはいろんなことがあった。良いことばかりじゃないさ。だけど、日本人として受け継いでいくべき良いものを失ってはいけないぞ。良いものは生かしていかないとな。そうすれば、神様もご先祖さまも喜んでくれるんじゃないか?」

 ナオミは4月から念願かなって国際機関に勤務することになっている。文字どおり、世界を舞台に仕事をすることになるのだ。

 「おじいちゃん、ありがとう。和の精神、アンド、“JOMON”スピリットで頑張るね」

 縄文と世界を雄弁に語るテツオの背後に、縄文の人々、そしてこれまで日本を形づくってきた先人たちが、列をなしているのが見えるようだ、とナオミは感じていた。


登場人物

●柴野高志(タカシ):カオリの夫、ナオミの父
●柴野香里(カオリ):タカシの妻、ナオミの母、ナオミが6歳の時に病死
●柴野直実(ナオミ):タカシとカオリの一人娘
●柴野哲朗(テツオ):タカシの父、ナオミの祖父
●柴野辰子(タツコ):タカシの母、ナオミの祖母
●宮田周作(シュウサク):カオリの父、ナオミの祖父、ナオミが14歳の時に病死
●宮田志穂(シホ):カオリの母、ナオミの祖母
●川島知佳(チカ):ナオミの親友、大学時代にナオミと出会う

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 次回もお楽しみに!

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