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(『祝福家庭』95号)
【第2・第3祝福】「家庭完成・主管性完成」

 いつでもどこでも、訓読生活!
 このシリーズでは季刊誌『祝福家庭』に掲載されている三大祝福完成に関するみ言を紹介します。

【第2・第3祝福】
「真のお父様」に関するみ言(2)

《真のお父様のみ言》

神の愛だけに命を捧げて生きる愚直な男
 神はなぜ私を呼ばれたのでしょうか。90歳(数え)になった今も、毎日、神がなぜ私を呼ばれたのかを考えます。この世の中の無数の人の中から、よりによってなぜ私を選ばれたのか。容貌が優れているとか、人格が素晴らしいとか、信念が強いとか、そういうことではありません。私は頑固一徹で、愚直(ぐちょく)で、つまらない少年にすぎませんでした。

 私に取り柄があったとすれば、神を切に求める心、神に向かう切ない愛がそれだったと言えます。いつ、いかなる場所でも最も大切なものは愛です。神は、愛の心を持って生き、苦難にぶつかっても愛の刀で苦悩を断ち切れる人を求めて、私を呼ばれたのです。

 私は何も自慢できるものがない田舎の少年でした。この年になっても、私はただひたすら神の愛だけに命を捧げて生きる愚直な男です。

 私は自分では何も分からなかったので、すべてのことを神に尋ねました。「神様、本当にいらっしゃいますか」と尋ねて、神が確かに実在することを知りました。「神様にも願いがありますか」と尋ねて、神にも願いがあるという事実を知りました。「神様、私が必要ですか」と尋ねて、こんな私でも神に用いられるところがあると知りました。


(『平和を愛する世界人として』〈光言社単行本〉69


イエス様に出会って9年目、父の真の愛に目覚める
 私はソウルの黒石洞(フソクトン)に再び腰を落ち着けて、明水台(ミョンスデ)イエス教会に通いながら、日々新たに悟るすべての内容を几帳面(きちょうめん)に日記帳に書き留めることにしました。悟りの多い日は、一日で一冊の日記帳を使い切ることもありました。

 そうするうちに、数年にわたる祈祷と真理探究の総決算とも言うべく、それまでどうしても解けなかった疑問についに答えを得たのです。それは一瞬の出来事でした。あたかも火の塊が私の体を通り抜けたかのようでした。「神様と私たちは父と子の関係である。それゆえ、神様は人類の苦痛をご覧になって、あのように悲しんでいらっしゃるのだ」という悟りを得た瞬間、宇宙のあらゆる秘密が解かれました。

 人類が神様の命令に背いて、堕落の道を歩む中で起こったすべての出来事が、映写機を回しているように、私の目の前にはっきりと広がりました。目から熱い涙がとめどなく流れ落ちました。私はひざまずいてひれ伏したまま、なかなか起き上がることができませんでした。

 子供の頃、父に背負われて家に帰った日のように、神様の膝に顔を伏せて涙を流したのです。イエス様に出会って9年目にして、ようやく父の真の愛に目覚めたのでした。


(同 90


一人の話を、真心を込めて聞く
 信徒の数は次第に増えましたが、数十人だろうと数百人だろうと、私は一人だと思って向き合いました。どんなお婆さんでも、どんな青年でも、その人一人だけを相手とするように、精一杯の真心を込めて話を聞きました。

 「韓国で私の話を一番よく聞いてくれる人は文(ムン)先生だ」という言葉を、信徒全員から聞きました。お婆さんたちは、自分がどんなふうに嫁に行くようになったかという話から、年上の夫のどこが悪いかということまで、何から何まで打ち明けてくれました。

 私は本当に人の話を聞くのが好きです。誰であろうと自分の話をし始めると、時の経つのも忘れて耳を傾けます。10時間、20時間と拒まずに聞きます。話そうとする人の心は切実な思いで、自分を救ってくれる太い綱を探し求めているのです。

 そうであるならば、私たちは真心を込めて聞かなければなりません。それがその人の生命を愛する道であるし、私が負った生命の負債を返す道でもあります。生命を尊く思って、敬い仰ぐことが一番大切です。嘘(うそ)偽りなく心を尽くして人の話を聞いてあげるように、私自身の真実の心の内も真摯(しんし)に話してあげました。そして、涙を流して祈りました。


(同 152~153